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サダナリデラックスブログ

第77回-都民ダイヤルの音楽が判明

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丁度4年前、2014年6月にニッポン放送の「都民ダイヤル」のBGMについて書きました。

ネットラジオで偶然気付いたが"A Little Bit Independent"という曲でファッツ・ウォーラーやナット・キング・コールで知られ、本来ならば知っているべき曲であること。近年はジャネット・クライン(vo)がカヴァーしており、しかもジャネット・クラインは2008年の来日公演を観ているので、「サダナリチョットニブスギルンジャネェノ?」ということ等々。

しかし、「都民ダイヤル」で使われていたテイク、演奏者は特定出来ず、「わからないままで死んで行くのカモシレナイ…」と考えていたところ…その答えは突然に。1ヶ月ほど前に、ある音楽家の方から「Lawrence Welk & His Champagne Musicの演奏です」とメールを頂戴しました。本当に本当に驚きました!

「Spotifyで聴くことが出来る」と書かれていたので、探してみると…間違いないです。このテイクです。

元々その方はLawrence Welkのファンで「放送当時からLawrence Welk なのではないかと思っていたのですが、長らく曲名がわかりませんでした」とのこと。そこで私がブログに何回も何回も「都民ダイヤル」「都民ダイヤル」と書いたのでGoogleで辿り着き、"A Little Bit Independent"が結びつき…という一種の「邂逅」です。

しかしまたしても少々口惜しい! Lawrence Welkは知っていました。1961年のミリオンセラー"Calcutta"は、「あぁ、この曲」と知っている人も多いでしょう。この曲です。名曲!



ヒントは「メロディーがアコーディオンだった」ことですね。アコーディオン奏者にしてビッグバンドのリーダー…この線で探すべきだった!!

数年前の、いや数十年前からの疑問を見事に解決して頂いたIさん、本当にありがとうございました。改めてインターネットって凄いですね。

さて、このほかにも、ここ数年でわかった曲、いまだにわからない曲、数々ありますが、それは少しずつ、このブログで。Lawrence Welkは名演多数。しばしその演奏を楽しみたいと…。

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第76回-国民的俳優と映画の国際性-その2

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面白いと思うのは韓国人女優、ペ・ドゥナの活動だ。彼女を最初に観たのはかなり古く、もう15年前、2003年だった。ポン・ジュノ監督の長篇デビュー作『ほえる犬は噛まない』を日本公開早々に観に行き、当時二十歳ちょっとだったペ・ドゥナを知った。あの映画、ペ・ドゥナも良かったがそれ以上にうだつの上がらない大学の非常勤講師を演じたイ・ソンジェの印象が強烈で、「かわいい女優がいるな」くらいの印象だった(イ・ソンジェがブラインドを閉めるラストシーンは秀逸)。

ペ・ドゥナを凄いなと思ったのはその次の『子猫をお願い』(日本公開2004年)だ。映画自体も傑作。ペ・ドゥナも骨のある演技で実に良かった。当時世界的に巻き起こっていたガーリー・ムーヴィーに対する韓国からの完璧な回答。また舞台が空港と港の町、仁川というのも良かった。私の出身地である蒲田、羽田付近に通じる空気感があり…というようなレビューを当時ある雑誌に執筆した。

そして彼女は海外の映画に出演することになる。2005年の日本映画『リンダ・リンダ・リンダ』、2009年に同じく邦画の『空気人形』、そして2013年には4ヶ国合作の『クラウド・アトラス』。
いずれも映画館で観たが、なんというか、映像作家ならば「存分に使ってみたい!」というキャラクターなのだろう。その魅力は何にでもなれる素材としての素晴らしさだと見た。日本に留学した女子高生役もあれば魂を授かってしまったラブドールなんて難役にもハマル。『クラウド・アトラス』では22世紀の女神を演じ、その直後、2015年の『私の少女』では化粧ッ気のない田舎の婦人警官まで(『グエムル』の時のアーチェリー選手役も良かった)。
実は彼女は身長が170cmを超えており、スタイルも抜群。先頭の写真はヴォーグ・コリアの表紙だが、Louis Vuittonのモデルを務めたときの写真も載せてしまおう。

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ただ正直なところ海外作品ではまだ決定的な作品には出会っていないような気もする。いま挙げた中では『子猫をお願い』と『空気人形』が良かったが、いやいや、まだまだ。個人的にはスパイク・ジョーンズかソフィア・コッポラあたりの映画に出演して欲しいとも。

今回、このブログを書くためにかなりの量のペ・ドゥナの写真を見たが、雰囲気的に水カンのコムアイや市川実日子に似ていると思った。「こんなに世界中から声のかかる女優がいるなんて韓国映画界は羨ましいな」と思ったが、ペ・ドゥナと市川実日子は年齢が1つしか違わない(ペ・ドゥナがひとつ下)。身長やスタイルもほぼ同じだ。ペ・ドゥナがあそこまで重用されるならば、市川実日子も…。

第75回-国民的俳優と映画の国際性-その1

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音楽関係の記事が続いたので久々に映画関係。

色々な国の映画を観ていて痛感するのが、「どんな国にも名監督、名優がいるなぁ」ということだ。アタリマエのことだが、アメリカの娯楽映画と少々の邦画にばかり漬かっているとうっかり忘れてしまう。そして名監督は国際的な映画祭で名誉ある賞を受賞し、名優は他国の映画に客演し、強烈な印象を残す。

それを痛感したのは20年以上前に観た『史上最大の作戦』('62)だった。ノルマンディ上陸作戦を描いたこの映画、当然のごとく英米独仏が入り乱れた人間ドラマになる。米軍にはジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、ロバート・ミッチャムが、英軍にはショーン・コネリーがいる。終戦から17年しか経っていないこの時に、アメリカ映画の大作でドイツ軍を誰が? ドイツ陸軍西部軍参謀総長を演じたのは名優クルト・ユルゲンスであった。ハリウッドにジョン・ウェインがいれば、ドイツの映画界にはクルト・ユルゲンスがいる。納得のキャスティング。この二大名優の共演には感服した。

クルト・ユルゲンスはミュンヘン郊外で生まれたドイツ人だったが、大戦中はナチス批判を理由にハンガリーの強制収容所に入れられていたそうだ。大戦後に解放されオーストリア国籍を得ている。もっとも『史上最大の作戦』で彼を語るのは片手落ちだろう。その5年前に、潜水艦映画の傑作『眼下の敵』('57)演じた独軍Uボート艦長こそユンゲルスの名前を世界に知らしめた名演。この時の米軍駆逐艦長役はロバート・ミッチャムであった。

戦後の戦争映画の名作を語るような文章になってしまったが、このように国際的なシナリオ、配役には、ちゃんとハマリ役となるその国の名優がいて、名演をフィルムに焼き付ける。

我が日本にも戦前の数々のハリウッド映画、日独合作の『新しき土』('37)やサミュエル・フラーの奇作『東京暗黒街・竹の家』('55)、『戦場にかける橋』('57)に出演した早川雪洲がいる。'49年の『TOKYO JOE』ではハンフリー・ボガードと共演。そのタイトルはブライアン・フェリーの有名曲になり、フュージョン時代の渡辺香津美(g)と坂本龍一(key)がカヴァーもした。

いつ終わるんだろう? この文章(苦笑)。本当はアラブ圏やヨーロッパ、アジアのことが書きたいのだが…とりあえずここまで。次回に続く。

第74回-テクノ御三家-その3・プラスチックスナンバーの記憶

1980~81年当時、プラスチックスの曲は自室で、ラジカセで聴いていた。中学3年だった80年はモノラル(SONY スカイセンサー5950)で、81年4月以降は高校入学祝いで買って貰ったステレオラジカセ(SONY METAL365)で。

時間は深夜が多かったように思う。なぜか夜明け以降、4時、5時台の記憶が多い。既に夜は明けているが周囲は何の物音もせず、地球上にひとりだけ取り残されてしまったような状況で、延々とプラスチックスを聴いていた…実際はほんの数回なのかもしれないが…いや、かなり繰り返しこうやって聴いていたように思う。

それから40年近くが経ち、いま強烈に思い出されるのは有名かつキッチュな「COPY」や「ROBOT」ではなく、LPで言えばB面後半の「Deluxe」や「Complex」、あるいはA面の(これまたあまり話題にならない)「Can I Help Me?」だ。
当時は「ピコピコなプラスチックスのアルバムが、なんでこんなに暗い雰囲気で終わるのだろう?」と思っていたが、今になって考えれば完璧なまでのブリティッシュ・インヴェンション~西海岸ポップス、ソフトロックのオマージュではないか。

例えばこの「Can I Help Me?」とホリーズの「バスストップ」を並べてみる。





いやもう何でもいい。大好きなThe Move「旗を振って汽車を止めろ」と並べてもいい。



このシリアスなレトロ・ポップ感はセカンドアルバムの『ORIGATO PLASTICO』('81)で頂点を極める。これこそ今、一番聴き直したい一枚だ。たとえばこの「PEACE」-



センカンド収録の「CARDS」に至ってはもはやテクノではない。半分は60年代ロックへのオマージュ(70年代前半、デヴィッド・ボウイのグラム~ソウルテイストも入っている?)、半分は親交のあったトーキング・ヘッズに通じるエレクトリック・ファンクの表出だ。
もちろん中高生だった1980、81年当時からリアルタイムでこのようなことを考えていたわけではない。当時は漠然と「なんだか懐かしいような、物哀しいような曲だなぁ。でもジワーっといいなぁ」と考えていた。今になって「分析」すれば、このようなバックグラウンドがあったのではないかというわけだ。

実はプラスチックスはこのあとサード・アルバムのレコーディングを企画していた。しかしメンバーが持ち寄った新曲は、それぞれの指向が強く出すぎてバンドとしての統一感を欠いていたそうだ。そしてそれが解散の原因ともなった。

音楽史的にはこの後、チカトシのユニット"メロン"に行くのが正史だが、私は立花ハジメばかりを聴いていた。82年の『H』、83年の『Hm』、そして84年のソロから90年代まで。
たとえばハジメがヴォーカルをとっている上記の「PEACE」と、85年リリースの『太陽さん TAIYO-SUN』収録の「XP-41」を並べてみても良いだろう(たぶんつづく)。

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