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サダナリデラックスブログ

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第67回-冨田勲・賛-その4「本当の魅力」

冨田勲のシンセサイザー音楽について、3回にわたって書いて来た。しかし私たち日本人にとって、冨田勲が忘れられない音楽家である理由は、シンセよりもなによりも、その作曲とアレンジにある。あまり語られないが、これに尽きる。

つい先日、テレビ朝日の「題名のない音楽会」で冨田の特集をやっていたが、アレンジが酷すぎて途中で早送りしてしまった。
まず「リボンの騎士」がシャッフルではなかった。あの曲はジャズのブルース進行で強烈なシャッフルで演奏される。インスト版のこちらを聴くと、一聴瞭然。トイピアノによるクロマチックのフィンガー・モーションなど、完全にジャズだ。



誤解を恐れずに記せば、「リボンの騎士」に最も近い曲はレイ・チャールズのこれだろう。



さらに「新日本紀行」もドアタマのブラスがなく、しかもポリリズムっぽい(楽典的にはポリリズムにはなっていない)裏打ちのパーカッションも弱かった。それこそが「新日本紀行」の高揚感の源であるにもかかわらず…。これ以上正しい演奏はない、本人の指揮による演奏。



このオープニングのホルンも、実に細かい譜割りになっており、それを理解しない者が演奏すると台無しになる。そして1、3、5、6拍目のウラに入るカッティング。これらが正しく組み合わさって初めてあの流麗かつ妖艶な「新日本紀行」になる。そしてこの曲が影響を与えたとか、与えなかったとか、諸説あるのがかの坂本龍一「The Last Emperor」だ。



こうして観てみると、似ているような似ていないような(笑)。アカデミー賞受賞直後、当時の夫人だった矢野顕子が、自分の”出前コンサート”で2曲を続けて演奏して「そっくりよねぇ~」と(あの声で)言っていた、というのは知る人ぞ知る話。
実際のところは坂本は全く意識せずに作曲して、出来上がってから矢野に「新日本紀行みたい」と指摘され、「確かにそうだな」と認めたらしい。

(ちなみに上のラストエンペラーの演奏、鼓弓のパートをオープンホールフルートで代用。巧みにグリッサンドしているが、そうすると急に中華系の楽器に聴こえるところが面白い)

さてさて、奇しくも坂本龍一の名前が出てきたが、昭和40年代の小学校時代に冨田勲の名曲の数々を聴いていた私の世代は、中学校時代に有名になった坂本龍一のアレンジやコードの中に、どことなく冨田勲を感じていたようにも思う。今は事務所で文章を書いているため手元に楽器がなく、テンションやスケールの比較が正確には出来ないのだが…。





こうして考えてみると、決して歌謡曲やポップスの人ではなかったが、シンセサイザー以外の楽曲面で、どれほど強烈な忘れ得ぬ記憶を与えて去っていったか…。こうした楽曲面での詳細な研究は、もっと表に出ても良い。シンセサイザーだけではなく。

第66回-冨田勲・賛-その3「口笛吹き」

前回、トミタサウンドには「常連」ともいうべきいくつかの音色があり、ファンはそれに夢中になり、トミタ本人も自分の分身のように愛でていたと書き、まずは有名な(?)「パピプペ親父」を紹介した。ふざけた内容のようだが、この度のトミタ逝去のあと「パピプペ親父」の文字をネット上のあちこちで目撃した。やはりみんな、気にしていたのだ。

そして第二回。「口笛吹き」について触れる。これはもう、天国の音色だ。以下若干専門的な文章になるがご了解いただきたい。

トミタの口笛はシンセ本来の音源である発振器、VCOを使わない。ここが最大のポイントである。まず「ザー」というホワイトノイズを出力する。次に音色に鼻を摘んだようなクセを付ける「レゾナンス」を上げて、同時に高音を削る「カットオフフィルタ」を下げる。するとあるところで「ピー」と発振が始まる。これらは全てフィルタの機能である。
そしてキーボードトラックとかベロシティと呼ばれる鍵盤の上下とフィルタの開閉を連動させるボリュームで、発信音を正しい音程変化にする。すると発信音は鍵盤に合わせて口笛を吹いたように曲を奏で始め、そして音程の高低=フィルタの開閉に合わせて漏れ聴こえるノイズの音もまるで唇の形を変化させているかのように変化する。これが、魅力的なのだ!

もうトミタは、「フィルタの発振で口笛の音を作った人」というだけで歴史の教科書に載っても良いのではないか? というのは大げさだが、シンセ奏者にとってはそれくらい重要な意味がある。

実際の演奏に於いては、さらにエンベロープ(ミクロな単位で見た時間に対する音量の変化)を調整し、さらにフィルタの開閉をホイールでスムーズに変化させて(この2つがキマルとポルタメントのような効果が出る)、最後にビブラートをかけて人間が気持ち良さそうに口笛を吹いている様子を表現している。
トミタ自身このサウンドは昔から大好きだったようで、その原型は実に1970年代初頭のNHK「みんなのせかい」のテーマ曲で聴くことが出来る。なんとこの番組、1972年4月のスタート時からこのテーマ曲を使用していた。45年近く前の話である。



私はこの「みんなのせかい」のテーマ曲が子供の頃から好きで好きで…1981年の夏、高校1年の時にはじめてのシンセであるKORGのMONO/POLYを親に買って貰ったが、自宅で電源を入れるなり、一番最初に作った音がこのノイズまじりの口笛だった(トミタシリーズその1で紹介した「スター・ウォーズのテーマ」もメロディーパートはこの口笛である)。

そしてこの「ノイズまじりの口笛」はYMOはじめ数々のテクノミュージシャンにも影響を与え、名機Prophet-5では同じ手法で、デジタルシンセのDX-7ではそのサウンドを踏襲したシミュレーションサウンドが作られた。例えば後期YMOの暗黒テクノの名盤『テクノデリック』('81)や、坂本龍一のソロ『NEO GEO』('87)など、この系譜のノイズサウンドがあちこちに登場する。このブログで詳説したイギリスのトニー・マンスフィールドがノイズ使いの天才と賞されていたが、考えてみればトミタこそその元祖ではないか。

またしても少々熱くなってしまったが、「ノイズもサウンドであり、音楽である」ということを教えてくれたのがトミタであったということだ。これはとてつもなく重要なことだ。

第65回-冨田勲・賛-その2「パピプペ親父」

冨田勲のシンセサイザー音楽は日本だけではなく世界的にも「トミタサウンド」と呼ばれるが、そのトミタサウンドには「常連」ともいうべきいくつかの音色があり、ファンはそれに夢中になり、トミタ本人も自分の分身のように愛でていたようだ。それはまるで手塚治虫の漫画に登場するヒゲオヤジやヒョウタンツギのような存在で…と書きかけたら、なんとその両者を比較するWebページが存在した! 驚いた!!

さて、トミタサウンドの常連で最も重要なのは通称「パピプペ親父」だろう。トミタがムーグに「喋らせよう。歌わせよう」と考えて作った、人間の声を模したサウンドである。
古くは『月の光』('74)、『展覧会の絵』('75)にも登場していたが、衝撃的だったのは『惑星』('77)のロケット打ち上げの場面。ここではなんと音程なしに管制官と宇宙飛行士として喋り、続けて「惑星」のテーマを鼻唄のように歌い、そして打ち上げのカウントダウンを行っている。ムーグのシンセがである。下記の動画の50秒付近から2分半付近にかけて…。



「トミタは本当にこのサウンドが好きなんだな」と痛感したのは前回紹介した「スター・ウォーズのテーマ」。あの曲では見事に(?)全編のベースラインを務めている。

この「パピプペ親父」が偉大なのは、この発想、この手法がデジタル化され、母音・子音を持ち、オヤジが女声になったのが「初音ミク」であるというトンデモない話に繋がるからだ。初音ミクが登場した時に、トミタは「やっと望んでいたものが出来た」と思ったそうだ。「パピプペ親父」はほぼ世界初のヴォーカロイドとも言える。ミクに先駆けることほぼ40年。そしてトミタは「イーハトーヴ交響曲」で初音ミクを全面的にフィーチャーした。

前回は「国産の踊れるシンセの曲はトミタのこの1曲(「スター・ウォーズのテーマ」)しかなかった」と書いた。同様に、1970年代に於いて日本で、いや世界で唯一のヴォーカロイド手法を用いていたのはトミタだったと言えるだろう。
クラフトワークの「アウトバーン」('74)や「ヨーロッパ特急」('77)にもロボットヴォイスは登場するが、あちらはヴォコーダーだった。リアルタイムで歌われる人間の肉声を音源とせず、電気的に合成された音源を変化させてヴォーカルとする。そこにこの「パピプペ親父」の凄さはある。名前はトンマだが…(サウンド編つづく)。

第64回-冨田勲・賛-その1「シンセ・ディスコ・サウンド」

冨田勲氏が亡くなった。初めて聴いたのが1977年、小学校6年生の時だ。今でも付き合いのある(音楽好き高校生のお兄さんのいる)大親友のT君が『惑星』を聴かせてくれたのが最初だった。以来40年近く。数々のアルバムを聴き、シンセサイザー音楽だけではなく映画やテレビでの優れた楽曲にも驚き、そして憧れだったトミタ風の「シンセサイザー・スタジオ」を高校・大学時代に自室に持ち…どれほどの影響を受けたかわからず、ごく最近も『タモリ倶楽部』での飄々とした姿(話の内容が実にタモリ倶楽部的で見事にハマッていた)に感動してしまったのだが…。

人には寿命がある。そういうことだろう。子ども向けの電気雑誌『ラジオの製作』(1954年創刊・1999年休刊)や『FMレコパル』で夢中にトミタを追いかけた小学生が、もう50歳を過ぎているのだから。むしろよくぞ80代の半ばまで、最後の最後まで、倒れたその日の午前中まで(新作アルバムの打ち合わせをしていたそうだ)、我々に刺激を与え続ける現役でいてくらたということに感謝しなければならない。

さすがに影響力の大きい人物だったようで、逝去数日後からネット上にもその死を惜しむブログやツイートが散見される。私も何か書こうと思うのだが、あまりにも思い入れが強すぎてどこから手を付けて良いのやら…「あまり語られていないが、ぜひ知って欲しいいくつかの事柄」について書く。ますはここからだ。

「日本で最初の、日本人によるロックビート、ディスコビートのオール・シンセ・サウンドはトミタである」-私の世代まではごく当たり前に認識されていたことなのだが、今の打ち込み系青少年にはあっまり知られていないかもしれない。それは1978年1月に発売されたアルバム『宇宙幻想』に収録された映画『スター・ウォーズ』のテーマのカヴァーで、小学校卒業間際にこれを聴いた私は、「これを待っていた。完全に新しい時代が来た」と震えた記憶がある。



実はこの前にも何組かの日本人アーティストが「シンセで奏でるロック&ポップス」のような謎めいたカヴァーアルバムを出しており(楽器はアープ・オデッセイかミニムーグが多かった)、冨田自身も1972年に『スイッチト・オン・ヒット&ロック』という4chステレオ・アルバム(タイトルはウェンディ・カルロスのもじりだろう)をリリースしているが、なんというか、トミタ版「スター・ウォーズのテーマ」は特別だったのだ。もちろんEL&Pなどのプログレもあったし、クラフトワークも知られ始めていた。しかし、ポップスのセンスで言って、トミタがダントツだった。
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が1977年12月14日に米国で、1978年7月15日に日本で公開されまさにエレクトリックなディスコ・サウンドが話題になりつつあった、そのタイミングでのリリース。ジョルジオ・モロダーがドナ・サマーの「I Feel Love」でシンセ・ディスコ・サウンドを確立したのが1977年の7月。その真っ只中に、トミタはいたのだ。

アルバム『宇宙幻想』はまずNHK-FMの番組「夜の調べ」(のちのクロスオーバーイレブン)でエアチェックし、追ってLPレコードを親に買って貰った。A面のラストに収められた「スター・ウォーズのテーマ」を小学校の、そして入ったばかりの中学校の給食放送でかけまくった。もう何回かけたかわからないほど、かけた。要するに(YMOデビュー前の)当時のヤングにとって、"国産"の踊れるシンセの曲はトミタのこの1曲しかなかったのだ。
ちなみにYMOがデビューするのが中学1年の秋、1978年の11月25日。そのファースト・アルバムにも本当に驚愕したが、「トミタが1年早かった」これは正しく記憶されるべきだろう。YMOのMC-4プログラミングとムーグのセッティングを行っていた松武秀樹が、YMO以前、専門学校時代から冨田のアシスタントだったというのは有名な話である(つづく)。

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