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サダナリデラックスブログ

第86回-雑誌記事からこぼれたこと-その3・「ミスター・タンブリン・マン」のレコーディング



月刊誌「JAZZ JAPAN」の新作映画レビューに書き切れなかった、しかし書き残したいエピソードの三回目。

前回『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』(日本公開2016年2月)のトミー・テデスコ(g)について記した。この映画については語りたいことがまだまだ山ほどある。今回はザ・バーズについて。

ザ・バーズはロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビーによって結成されたロサンゼルスのフォーク・ロック、カントリー・ロック・バンドで、追ってベーシストのクリス・ヒルマンとドラマーのマイケル・クラークが加入し、1965年4月12日に発売された2枚目のシングル「ミスター・タンブリン・マン」が英米両国でNo.1ヒット…ということになっている。

しかしこの「ミスター・タンブリン・マン」のレコーディング・セッションで彼らは演奏していない。当時のロック・バンドでよくあった話だが、実際の演奏はレッキング・クルーによるものだった。ピアノはラリー・ネクテルとなんとレオン・ラッセル、ギターはビル・ピットマンという地味な職人、ベースはラリー・ネクテル、ドラムはもちろんハル・ブレイン…。

ところがここからが面白い。激怒するメンバーを尻目に、ロジャー・マッギンだけはギターを弾くことを「許された」というのだ。この映画の中でそれを語る彼の嬉しそうな顔。「あのレッキング・クルーに認められた」というのはフォール・ロック出身の若きギタリストにとってどれほど名誉なことであっただろうか。
彼は「偉大なバンドとプレイするチャンスが来た!」と思ったそうだ。そうしてシングル2曲(c/w "I Knew I'd Want You(君に首ったけ)")は3時間で完成。半年後、自分たちで演奏した4thシングルの「ターン、ターン、ターン」は77テイク目でやっとOKが出たそうだ。

ベーシストのジョー・オズボーン(サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」、カーペンターズ「遥かなる影」、そしてママス&パパス「California Dreamin」など数百曲に参加)は若いロック・バンドについて「助っ人になる時と総入れ替えの時があった」と語った。後者の典型はみんな大好きアソシエーション。彼らはレコーディングでは一切演奏していない。「ウィンディ」も「かなわぬ恋」「恋にタッチはご用心」…いずれもレッキング・クルーの名演奏なのだ。

(好奇心旺盛な方はアソシエイションが自力で演奏をしているこちらのテイクを。いやはやなんとも…ベースについて言うと大体全盛期のオレと同じくらい…)

しかし中には、若手ながらもレッキング・クルーとこのコラボレーションで素晴らしいサウンドを生み出す強者もいて…という話は次回に。

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第85回-雑誌記事からこぼれたこと-その2・トミー・テデスコとゴングショー

月刊誌「JAZZ JAPAN」の新作映画レビューに書き切れなかった、しかし書き残したいエピソードの二回目。

『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』は2016年2月に日本公開された'60~'70年代のロック黄金時代を支えたセッション・ミュージシャンたちのドキュメンタリーである。その4年前の'12年に「The Wrecking Crew」という音楽書が出版されており(これも読んだ)、私は当初、その本をもとにした映画化だと思っていた。ところがこれが全く異なる経緯の作品だったのだ。

監督はデニー・テデスコ。この名前を聴いて気がついた人は超弩級の音楽ファンだ。デニーの父はレッキング・クルーの名ギタリスト、トミー・テデスコ。映画は彼の死(1997年)を伝えるMTVやCNNのニュースから始まる。CNNは「彼の名前を知らなくても、この曲は御存知でしょう」と語り、次の3曲を挙げた。







TVシリーズの「ボナンザ」や「バットマン」、そして懐かしの「農園天国」のギターを弾いていたのが彼だ。しかしあまりにも裏方に徹しすぎていたので訃報で名前を間違えられ(トニーやトデスコ)、息子のデニーも「死んで初めて名が知れた」と皮肉げに語った。

もちろんTV音楽だけではない。彼がロックの世界に果たした功績も偉大だ。例えばこの2曲。





なるほど「Surf City」のミュートギターは「バットマン」に似ているし、「Up, Up and Away」は彼が得意としたフラメンコ調だ。そして忘れてはいけない、"あの"傑作映画のギターも彼だ。



テデスコの功績を記して行くとキリがないのだが、そんな尊敬すべき父親が癌になり「父の話をしたくて作った」映画が『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』だった。これは一種のファミリー・ムービーだったのだ(ここまでは雑誌にもかいつまんで書いた)。

さて本題。雑誌のレビューに書き切れなかったこと。

1975年にテデスコは「俺はナンバーワンだった…」で始まる弾き語りの「Requiem for a Studio Guitar Player(スタジオギタリストのための葬送曲)」を冗談半分でリリースする。そして当時人気のあったTV番組「ザ・ゴングショー」に「125kgのバレリーナ」と称してピンクのコスチュームで出演。この曲を熱唱する。

なんとこの時のテデスコを1979年に日本のテレビで観ているのだ。父と母と、中学2年生だった私は。

「ザ・ゴングショー」と「ララショー」は平日2300から30分間、テレビ東京で字幕放映されていて、我が家は大ファンだったのだ。映画にはこの時のテデスコの姿も登場する。まさかほぼ40年ぶりにその姿を観るとは…。

当時は当然トミー・テデスコなど知らず、「きっと向こうでは有名な人なんだろうね」と言いながら観ていた。歌詞が秀逸で途中で吹き出した記憶もある。
そして、番組の最後に発表される「ザ・ゴングショー」名物"今日のチャンピオン"は見事テデスコに輝く。バレリーナ姿の彼は巨漢を揺らしながら飛び上がって喜ぶ。映画のエンドロールにはこのシーンも挿入されており、私はなぜかここで号泣してしまったのだ。

テデスコとレッキング・クルーが'70年以降どうなったか。そこまで記すとこの数倍の文章になってしまうので、今回はここまで。

1979年に神奈川県逗子市の居間のテレビで三人家族が観た「125kgのバレリーナ」には、こんなストーリーが秘められていた。これには本当に驚いた。しかしこれも、あまりにも長くなるのと私的過ぎて雑誌には書けなかった。なのでここに書いた。

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第84回-雑誌記事からこぼれたこと-その1・映画に描かれたヴァン・ダイク・パークス

月刊誌「JAZZ JAPAN」の新作映画レビューをほぼ毎月書かせて頂いている。私個人の連載というわけではないのだが、2012年3月から年に10回前後、75回くらいは書いている。

しかし、文字数、行数に厳密な規定があり、書きたいと思ったことを諦めることもある。いや、正しく言うと、最初に文字数を考えずに好きなように書いて、あとからどんどん自分自身で削って行く。そして実は、削れば削るほど文章は引き締まり、面白くなって行く。ここは文字数制限の少ないネット媒体とは大きく異なっている。

「削れば削るほど文章は引き締まり、面白くなって行く」とは言うものの、その削った文章の中には「これは伝えられずに残念だったな」と何年も気になっているものもある。例えば2015年8月に公開されたブライアン・ウィルソンの伝記映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』のある描写。

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この映画、『ペット・サウンズ』セッション(1965~66)を中心とした60年代のブライアンと、ユージン・ランディ医師という怪人物に支配されていた1980年代の彼を二人の俳優(60年代はポール・ダノ、80年代はなぜか全く似ていないジョン・キューザック)が演じる不思議な構造だった。
そして唖然とするのが60年代の再現っぷり! 66年11月とされるかの「ファイヤー・セッション」では消防士のヘルメットを被ったキャロル・ケイ(b)にそっくりのTeresa Cowlesまでも!! (写真は全て2015年の映画の方から載せています。ロックファンなら誰でも唸るハズ)

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いきなりマニアックなところに走ってしまったが、この映画で「これは伝えられずに残念だったな」と思っているのは実は我が師、ヴァン・ダイク・パークスについての描写なのだ。
演じているのは俳優でシンガー・ソング・ライターでもあるマックス・シュナイダー。「『ペット・サウンズ』から『スマイル』の挫折を描くならば、ヴァン・ダイクも出てくるのかな?」と思ったら見事に出てきた。しかも良く似ている! メガネ、髪形、服装。よくぞここまで!

BB5_013 Max Schneider as Van Dyke Parks

最初はBB5のメンバーと親しげに食事を供にし、『スマイル』をクラシックの名作のようにしたいなどと講釈を垂れるのだが、饒舌なヴァン・ダイクにメンバーは違和感を感じはじめる。そしてついに「出て行ってくれないか」と告げられて、ヴァン・ダイクはひとり去って行く…。

この「メンバーではないのにそこにいる感じ」、「出て行ってくれないか」から「ひとり去って行く」の疎外感としうか、馴染めなかった感というかが、「ホントにこうだったんじゃないか?!…」と思わせる、実にビミョーな空気の漂う演出だったのだ。

ブライアンとヴァン・ダイク、そしてBB5の他のメンバーとの関係は、それこそ30年以上追いかけて自分なりに想像をしていたが、いやびっくり、まさにその想像通りの演出であり、映像だった。ヴァン・ダイク本人はどう観たのかなぁ…。

この映画のヴァン・ダイク・パークスに注目している人も少ないと思うが、『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』のこの場面は特筆に値する、が、文字数の限られたメジャーなジャズ雑誌に書くわけには行かず、いま、ここに書いた。ご覧あれ。

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第83回-拍手の起こる映画

Green_Book.jpg


かつてこのブログに映画『丹下左膳余話・百萬両の壺』('35年・日活)のことを書いた。「私は映画館で、あれほどまでの歓声を聞いたことがない」、「満員の場内、全員が拍手。立ち上がって、スタンディング・オベーションをしている者までもいる。私ももちろん、力の限り拍手をした」-実はこの映画に対して拍手をしてしまう感情というかトリガーというかは、実はエンディングの一瞬にかかっているのではないかと考えている。

この『丹下左膳余話・百萬両の壺』がまさにそうなのだが、他には川島雄三の代表作『幕末太陽傳』('57年・日活)や、成瀬巳喜男の『秋立ちぬ』('60年・東宝)など、それまで積み上げてきた物語と人物像のパワーや感情がピークに達し、さらに意外な展開を見せ、余計な余韻や説明なしに「スッ」と終わる。「もう、これは拍手するしかないな」という演出、編集があるのだ。

(逆に劇中では大感動してもエンディングでハズしてしまう映画もある。去年話題になった『カメラを止めるな!』はそこが残念だった。本当に面白い映画だと思ったが、ラストショット~エンディングが締まらず、拍手のタイミングを逸してしまった…)

最後の最後に強烈な一言が来る映画もある。近作ではリドリー・スコットの『オデッセイ』(2015年)がそうだろう。さらにラストシーン、ラストショットが爆笑を呼びこらえきれずに拍手してしまう映画もある。例えば'97年の『フル・モンティ』がそうだ。
しかしこの「最後の最後に強烈な」映画は、その詳細が説明出来ないのが残念だ。そこを詳しく書くのは絶対にやってはいけないことなので…。

さて、なんで突然こんなことを書いているかというと、まさに今日、アカデミー賞作品賞を獲った『グリーンブック』がその「最後の最後に強烈な一言」という作品だからだ。日本公開は今週末3月1日の金曜日なので、それこそ詳細は書けないが、「とても『オデッセイ』に似ていた」とだけ書いておこう。

この作品、去年の秋にネットで見つけてレギュラーで映画評を書かせてもらっている雑誌JAZZ JAPANに推薦。「日本公開が決まったらレビューを書きたい」と数ヶ月前から注目していた一本なのだ。
あまりにも重厚な『ローマ/ROMA』に圧されて、作品賞は無理かと思ったが最後の最後に大逆転(?)。見事作品賞に輝いた。どんな映画、どんなエンディングかは、ぜひ映画館で。よろしければ最後の一言で拍手を!

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