Home > 音楽

音楽 Archive

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • Comments (Close): -
  • TrackBack (Close): -

第78回-「ハロー神奈川」のBGMも判明してました

前回は、2014年6月に書いたニッポン放送「都民ダイヤル」のBGMが判明したという記事を書いた。

実はその2014年の同じ記事に登場した「ハロー神奈川」のBGMも判明していた。曲はサイモン&ガーファンクルの「フィーリン・グルーヴィー」のインスト版カヴァー。このHollyridge Stringsがまさに使用されていたテイクだ。



「あの曲をインストでカヴァーした人は何組くらいいるのだろう?」という地味な調査からスタートして、ひとあたり聴いて判明。この曲については実に今から20年も前にこんなコラムも書いたので感慨もひとしお。しかもニッポン放送ではもう使用されていないので、このYOUTUBEでしか聴くことが出来ないのだ。

それにしても…。

40年以上前の子供の頃、ラジオで使われていた曲を演奏者やテイクまで特定したくなるこの気持ちは一体何なのだろう?
実は当時の私は、子供心に全く逆のことを考えていた。少々ヘンな話しになるが、小学校の中盤から後半にかけて、私はこれらの曲を聴くたびに「なんていい曲なんだろう?でも曲紹介されないから誰のなんという曲だかわからないや。こんな雨の日の夕方にこの曲を聴いていたことも、この曲自体も、自分の長い人生からすればほんの一瞬のことで、大人になったら完全に忘れ去ってしまうんだろうな」となぜか考えていた。そしてそれは「ものすごくさびしいこと」だと思っていた。

しかし…人間の記憶とは不思議なもので、池上のアパートに住んでいた4、5歳以降、ラジオやテレビから流れていた曲はアレンジも含めてかなりの数を覚えているし、何割かの曲はテイクを特定しレコードやCDを買ったものもある。音楽に対する記憶やそれを追いかける感情というのは、40年や50年では消えない、冷めないものだったのだ。

印象的なのは物心付いた頃から聴いていたNHK-FM「サウンド・オブ・ポップス」のテーマ曲だろう。小学生ながら心からカッコイイと思っていた。そして「でも誰のなんという曲かわからないし、大人になったら記憶の彼方…さびしいな」と思っていた。そんな45年前の自分に教えてあげたい。

「その曲はカラベリがカヴァーした『グラン・プリ』のテーマだよ。昨日も御徒町の中古レコード屋で探したけど見つからなかった。でもいつかきっとレコードを買うよ」と。

.

第77回-都民ダイヤルの音楽が判明

LW2_w550.jpg


丁度4年前、2014年6月にニッポン放送の「都民ダイヤル」のBGMについて書きました。

ネットラジオで偶然気付いたが"A Little Bit Independent"という曲でファッツ・ウォーラーやナット・キング・コールで知られ、本来ならば知っているべき曲であること。近年はジャネット・クライン(vo)がカヴァーしており、しかもジャネット・クラインは2008年の来日公演を観ているので、「サダナリチョットニブスギルンジャネェノ?」ということ等々。

しかし、「都民ダイヤル」で使われていたテイク、演奏者は特定出来ず、「わからないままで死んで行くのカモシレナイ…」と考えていたところ…その答えは突然に。1ヶ月ほど前に、ある音楽家の方から「Lawrence Welk & His Champagne Musicの演奏です」とメールを頂戴しました。本当に本当に驚きました!

「Spotifyで聴くことが出来る」と書かれていたので、探してみると…間違いないです。このテイクです。

元々その方はLawrence Welkのファンで「放送当時からLawrence Welk なのではないかと思っていたのですが、長らく曲名がわかりませんでした」とのこと。そこで私がブログに何回も何回も「都民ダイヤル」「都民ダイヤル」と書いたのでGoogleで辿り着き、"A Little Bit Independent"が結びつき…という一種の「邂逅」です。

しかしまたしても少々口惜しい! Lawrence Welkは知っていました。1961年のミリオンセラー"Calcutta"は、「あぁ、この曲」と知っている人も多いでしょう。この曲です。名曲!



ヒントは「メロディーがアコーディオンだった」ことですね。アコーディオン奏者にしてビッグバンドのリーダー…この線で探すべきだった!!

数年前の、いや数十年前からの疑問を見事に解決して頂いたIさん、本当にありがとうございました。改めてインターネットって凄いですね。

さて、このほかにも、ここ数年でわかった曲、いまだにわからない曲、数々ありますが、それは少しずつ、このブログで。Lawrence Welkは名演多数。しばしその演奏を楽しみたいと…。

.

第74回-テクノ御三家-その3・プラスチックスナンバーの記憶

1980~81年当時、プラスチックスの曲は自室で、ラジカセで聴いていた。中学3年だった80年はモノラル(SONY スカイセンサー5950)で、81年4月以降は高校入学祝いで買って貰ったステレオラジカセ(SONY METAL365)で。

時間は深夜が多かったように思う。なぜか夜明け以降、4時、5時台の記憶が多い。既に夜は明けているが周囲は何の物音もせず、地球上にひとりだけ取り残されてしまったような状況で、延々とプラスチックスを聴いていた…実際はほんの数回なのかもしれないが…いや、かなり繰り返しこうやって聴いていたように思う。

それから40年近くが経ち、いま強烈に思い出されるのは有名かつキッチュな「COPY」や「ROBOT」ではなく、LPで言えばB面後半の「Deluxe」や「Complex」、あるいはA面の(これまたあまり話題にならない)「Can I Help Me?」だ。
当時は「ピコピコなプラスチックスのアルバムが、なんでこんなに暗い雰囲気で終わるのだろう?」と思っていたが、今になって考えれば完璧なまでのブリティッシュ・インヴェンション~西海岸ポップス、ソフトロックのオマージュではないか。

例えばこの「Can I Help Me?」とホリーズの「バスストップ」を並べてみる。





いやもう何でもいい。大好きなThe Move「旗を振って汽車を止めろ」と並べてもいい。



このシリアスなレトロ・ポップ感はセカンドアルバムの『ORIGATO PLASTICO』('81)で頂点を極める。これこそ今、一番聴き直したい一枚だ。たとえばこの「PEACE」-



センカンド収録の「CARDS」に至ってはもはやテクノではない。半分は60年代ロックへのオマージュ(70年代前半、デヴィッド・ボウイのグラム~ソウルテイストも入っている?)、半分は親交のあったトーキング・ヘッズに通じるエレクトリック・ファンクの表出だ。
もちろん中高生だった1980、81年当時からリアルタイムでこのようなことを考えていたわけではない。当時は漠然と「なんだか懐かしいような、物哀しいような曲だなぁ。でもジワーっといいなぁ」と考えていた。今になって「分析」すれば、このようなバックグラウンドがあったのではないかというわけだ。

実はプラスチックスはこのあとサード・アルバムのレコーディングを企画していた。しかしメンバーが持ち寄った新曲は、それぞれの指向が強く出すぎてバンドとしての統一感を欠いていたそうだ。そしてそれが解散の原因ともなった。

音楽史的にはこの後、チカトシのユニット"メロン"に行くのが正史だが、私は立花ハジメばかりを聴いていた。82年の『H』、83年の『Hm』、そして84年のソロから90年代まで。
たとえばハジメがヴォーカルをとっている上記の「PEACE」と、85年リリースの『太陽さん TAIYO-SUN』収録の「XP-41」を並べてみても良いだろう(たぶんつづく)。

第73回-テクノ御三家-その2・プラスチックスの特別さ



中西俊夫の早すぎる死去をきっかけに書き始めたテクノ御三家について。「プラスチックス派、ヒカシュー派、Pモデル派に分かれる。そしてそれが、幼いながらもその人の趣味や性格を表し、ひいてはその将来までも…」というお話しの第二回。

1979~80年のテクノポップ大流行まで、パンクが最も進んだ音楽だと思って聴いていたので、パンクとマシンを完璧にミックスしたP-MODELにもシビれた(中学生のナケナシの小遣いで「ヘルス・エンジェル」のドーナツ盤を買った。50歳を過ぎてもまだ持っている)、ニューウェイヴ的な奇抜さとイケナイものを聴いている感じではヒカシューのサウンドが群を抜いていた。ヒカシューにはかなりハマり、アルバムも買い続けてかなり後年にもライヴに行った。

しかし、しかしである。なんというか「俺が求めていたものはコレだッ!!」感、100、120、1000%のジャストミート感があったのはプラスチックスだった。一体どこにシビレたのだろう?…。

まず何と言ってもそのサウンドのレトロ感だ。実際にモンキーズの「恋の終列車」や、ビートルズ武道館公演の前座でドリフターズが演奏した「ウェルカム・ビートルズ」のカヴァー(正しくは「ウェルカム・プラスチックス」)もやっていたが、オリジナル曲の多くが1960年代のエレキサウンドやブリティッシュ・インヴェンション、さらにはGSサウンドを彷彿とさせるもので、古い映画や深夜放送で聴くそうしたサウンドに狂っていた私は「アレをシンセでやってくれるバンドが登場した!」と狂喜した。

この中学生の狂喜は、実はプラスチックスのコンセプトそのものでもあった。かなり後年になってから立花ハジメのインタビューで知ったのだが、「60年代のロックに胸がキューンとしたあの感じを、今のセンスで再現するとどうなるか」が彼らのコンセプトだったそうだ。

もちろんレトロ感だけではない。その「音の良さ」にもシビれた。ヒカシューほか何組かのバンドがドラムレスで、ローランドのCR-78(コンピュリズム)というリズムマシンを使っていたが、この音が最もストレートに、魅力的に収録されていたのがプラスチックスではなかったか。
トシとハジメの60'sギターもイイ、佐久間正英のシンセ(JUPITER-4が多かった)もオルガンサウンドを多用しまくりで日本のGSのようだった。確かに「COPY」や「ROBOT」といった近未来を匂わせる曲もあったが、それも60年代の人々が描いたキッチュな未来像の音像化のように思える(←これはごく最近気付いた)。

デザイナーやスタイリストの兼業バンドであったので、アートワークやファッションも洗練されており、そして上で述べたレトロフューチャーなサウンド。「プラスチックスについて行けば、自分の望む音楽もファッションも、すべて実現できるのではないか」と、まるで取り込まれたようになってしまった1980年1月、中学2年の3学期であった(父親がドレメの教師をしていたのも関係があるのかもしれない。これもごく最近気がついた。プラスチックスはなんとな~く服飾系大学の学内の"アノ雰囲気"に通じるものがあった)。

しかしこの「読み」は概ねハズレではなく、その後数十年、彼らから広がる世界を追い続けることになる(つづく)。

Home > 音楽

Recent Comments
Recent Trackback
Search
Meta
Links
Feeds

Page Top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。