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音楽 Archive

第72回-テクノ御三家-その1

プラスチックスの中西俊夫が亡くなってしまった。2017年2月25日、満61歳没。食道癌であった。

昨年9月に既にステージⅢであると公表。治療のためのクラウドファンディングやチャリティシングルの制作、ライブイベントなどが繰り広げられていたが、発見からわずか半年で逝去。人間とはこんなにもあっけないものか。2009年6月に再婚した今村早里との間に生まれた男の子が、まだ幼くて…それを思うとやりきれない気すらしてくる。
プラスチックスは2014年1月にキーボード担当だった(というかかの四人囃子の名ベーシストだった)佐久間正英も胃癌で急性。すでに2人を失ってしまった。

中西俊夫の死去で、プラスチックスとその後の活動、そしてメジャーデビュー時のニッポンの雰囲気などを思い出していた。

そこで浮かんできたのが「テクノ御三家」という言葉だ。

テクノ御三家とは、プラスチックス、ヒカシュー、Pモデルの3つのバンドを指す。それぞれの日本国内でのメジャーデビューが1980年1月、1979年10月、1979年7月だったので、1980年の初頭頃に誕生した言葉だろう。

昭和55年の話。いまとなっては当時最先端だった「テクノ」と昭和歌謡臭ムンムンの「御三家」の組み合わせにクラクラするが、なんともこれが、当時はほとんど違和感なく使われていた。

そしてこの3バンドの組み合わせを決定づけたのが、NHK総合テレビの青少年向けの情報番組「600こちら情報部」で放映された「'80春 テクノ・ポップって何?」。正確な放映日がどこにも残っていないのだが、中2から中3に上がる春休みだったような、学期中だったような…。



そしてこの「600こちら情報部」放映のあと、中学生、高校生が熱狂し、プラスチックス派、ヒカシュー派、Pモデル派に分かれる。そしてそれが、幼いながらもその人の趣味や性格を表し、ひいてはその将来までも…というお話し。

まずは私が最もハマった、プラスチックスの有名曲「COPY」を。こう観るとプラスチックスがダントツにオシャレでうっとりさせるものがある。そこに惹かれたのだ…。



(ちなみにこの3バンドの御三家的紹介は、この番組に続けて東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放映されていた「ステレオ音楽館-これがテクノポップだ!」でも組まれていた。こちらは80年の夏ごろだったか…)

-その2につづく-

第71回-ニッポンのテレビジョン

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アメリカ大統領選でのトランプ勝利後、NYトランプタワー前でレディ・ガガが掲げた「Love trumps hate.」-「愛は憎しみに勝る」を日本のテレビ局が「トランプは嫌い」と誤訳。「どう読めばそうなるんだ?」と日本中を唖然とさせたことは記憶に新しい。あのとき私は、「なんだか昔も似たような話があったなぁ…」と思った。

2002年頃だったと思う。フジテレビで高校生のアカペラ・グループを応援する企画があり、優勝グループがニューヨークに行く回をたまたま見た。彼らはストリート・ライヴを行い、「イマジン」を歌った。

別に彼らに非はない。そこで流れたナレーション「曲は『イマジン』。9.11以降、アメリカの各地で歌われた曲だ」に問題がある。私はそれを聴いた瞬間、唖然とした。

9.11以降、全米のラジオ局は160曲に及ぶ"lyrically inappropriate"(不適切な歌詞を持つ)songsリストを作成、「イマジン」もそれに含まれオン・エアも演奏も自粛、いや、封印された。戦争を放棄し、宗教も国境も関係ない、世界はひとつなどという歌は、これからイスラム圏に反撃をするわが国に相応しくないというわけだ。「各地で歌われた曲」は全くの間違い、正反対である。

しかし! 同時多発テロからわずか10日後の9.21、かのニール・ヤングが、しかもよりによって9.11犠牲者の追悼ライヴでこの曲を歌う。このパフォーマンスは賛否両論を呼び、我々ニッポンのロック・ファン(の一部)はその姿に震え、涙した。これこそがロックだと。



確かにこのニール・ヤングのパフォーマンス以降、ラジオ曲にリクエストが殺到したり、サー・アイバンによるクラブ・ミックスがチャートに登場したりということもあった。だが、「イマジン」と言えば9.11によって虐げられた曲の象徴。それを「アメリカの各地で歌われた曲」などとひとことで片付けられるのだろうか? 中途半端なナレーションなら、付けない方がマシではないだろうか?
ロックとは、バラエティ番組のスタッフが考えている以上に深く、複雑で、重い意味を持つものだ。だから半世紀近く聴き続けて、いまだに飽きずにいる。

もう15年も前のことで、さらには「いや、そうした事情も踏まえて、ちゃんとナレーションしたのだ」という声もあるかもしれないが、ニッポンのテレビ局と米国文化との間には、何か大きな溝があるように思う。なんだか、住む世界が異なるような…。

第67回-冨田勲・賛-その4「本当の魅力」

冨田勲のシンセサイザー音楽について、3回にわたって書いて来た。しかし私たち日本人にとって、冨田勲が忘れられない音楽家である理由は、シンセよりもなによりも、その作曲とアレンジにある。あまり語られないが、これに尽きる。

つい先日、テレビ朝日の「題名のない音楽会」で冨田の特集をやっていたが、アレンジが酷すぎて途中で早送りしてしまった。
まず「リボンの騎士」がシャッフルではなかった。あの曲はジャズのブルース進行で強烈なシャッフルで演奏される。インスト版のこちらを聴くと、一聴瞭然。トイピアノによるクロマチックのフィンガー・モーションなど、完全にジャズだ。



誤解を恐れずに記せば、「リボンの騎士」に最も近い曲はレイ・チャールズのこれだろう。



さらに「新日本紀行」もドアタマのブラスがなく、しかもポリリズムっぽい(楽典的にはポリリズムにはなっていない)裏打ちのパーカッションも弱かった。それこそが「新日本紀行」の高揚感の源であるにもかかわらず…。これ以上正しい演奏はない、本人の指揮による演奏。



このオープニングのホルンも、実に細かい譜割りになっており、それを理解しない者が演奏すると台無しになる。そして1、3、5、6拍目のウラに入るカッティング。これらが正しく組み合わさって初めてあの流麗かつ妖艶な「新日本紀行」になる。そしてこの曲が影響を与えたとか、与えなかったとか、諸説あるのがかの坂本龍一「The Last Emperor」だ。



こうして観てみると、似ているような似ていないような(笑)。アカデミー賞受賞直後、当時の夫人だった矢野顕子が、自分の”出前コンサート”で2曲を続けて演奏して「そっくりよねぇ~」と(あの声で)言っていた、というのは知る人ぞ知る話。
実際のところは坂本は全く意識せずに作曲して、出来上がってから矢野に「新日本紀行みたい」と指摘され、「確かにそうだな」と認めたらしい。

(ちなみに上のラストエンペラーの演奏、鼓弓のパートをオープンホールフルートで代用。巧みにグリッサンドしているが、そうすると急に中華系の楽器に聴こえるところが面白い)

さてさて、奇しくも坂本龍一の名前が出てきたが、昭和40年代の小学校時代に冨田勲の名曲の数々を聴いていた私の世代は、中学校時代に有名になった坂本龍一のアレンジやコードの中に、どことなく冨田勲を感じていたようにも思う。今は事務所で文章を書いているため手元に楽器がなく、テンションやスケールの比較が正確には出来ないのだが…。





こうして考えてみると、決して歌謡曲やポップスの人ではなかったが、シンセサイザー以外の楽曲面で、どれほど強烈な忘れ得ぬ記憶を与えて去っていったか…。こうした楽曲面での詳細な研究は、もっと表に出ても良い。シンセサイザーだけではなく。

第66回-冨田勲・賛-その3「口笛吹き」

前回、トミタサウンドには「常連」ともいうべきいくつかの音色があり、ファンはそれに夢中になり、トミタ本人も自分の分身のように愛でていたと書き、まずは有名な(?)「パピプペ親父」を紹介した。ふざけた内容のようだが、この度のトミタ逝去のあと「パピプペ親父」の文字をネット上のあちこちで目撃した。やはりみんな、気にしていたのだ。

そして第二回。「口笛吹き」について触れる。これはもう、天国の音色だ。以下若干専門的な文章になるがご了解いただきたい。

トミタの口笛はシンセ本来の音源である発振器、VCOを使わない。ここが最大のポイントである。まず「ザー」というホワイトノイズを出力する。次に音色に鼻を摘んだようなクセを付ける「レゾナンス」を上げて、同時に高音を削る「カットオフフィルタ」を下げる。するとあるところで「ピー」と発振が始まる。これらは全てフィルタの機能である。
そしてキーボードトラックとかベロシティと呼ばれる鍵盤の上下とフィルタの開閉を連動させるボリュームで、発信音を正しい音程変化にする。すると発信音は鍵盤に合わせて口笛を吹いたように曲を奏で始め、そして音程の高低=フィルタの開閉に合わせて漏れ聴こえるノイズの音もまるで唇の形を変化させているかのように変化する。これが、魅力的なのだ!

もうトミタは、「フィルタの発振で口笛の音を作った人」というだけで歴史の教科書に載っても良いのではないか? というのは大げさだが、シンセ奏者にとってはそれくらい重要な意味がある。

実際の演奏に於いては、さらにエンベロープ(ミクロな単位で見た時間に対する音量の変化)を調整し、さらにフィルタの開閉をホイールでスムーズに変化させて(この2つがキマルとポルタメントのような効果が出る)、最後にビブラートをかけて人間が気持ち良さそうに口笛を吹いている様子を表現している。
トミタ自身このサウンドは昔から大好きだったようで、その原型は実に1970年代初頭のNHK「みんなのせかい」のテーマ曲で聴くことが出来る。なんとこの番組、1972年4月のスタート時からこのテーマ曲を使用していた。45年近く前の話である。



私はこの「みんなのせかい」のテーマ曲が子供の頃から好きで好きで…1981年の夏、高校1年の時にはじめてのシンセであるKORGのMONO/POLYを親に買って貰ったが、自宅で電源を入れるなり、一番最初に作った音がこのノイズまじりの口笛だった(トミタシリーズその1で紹介した「スター・ウォーズのテーマ」もメロディーパートはこの口笛である)。

そしてこの「ノイズまじりの口笛」はYMOはじめ数々のテクノミュージシャンにも影響を与え、名機Prophet-5では同じ手法で、デジタルシンセのDX-7ではそのサウンドを踏襲したシミュレーションサウンドが作られた。例えば後期YMOの暗黒テクノの名盤『テクノデリック』('81)や、坂本龍一のソロ『NEO GEO』('87)など、この系譜のノイズサウンドがあちこちに登場する。このブログで詳説したイギリスのトニー・マンスフィールドがノイズ使いの天才と賞されていたが、考えてみればトミタこそその元祖ではないか。

またしても少々熱くなってしまったが、「ノイズもサウンドであり、音楽である」ということを教えてくれたのがトミタであったということだ。これはとてつもなく重要なことだ。

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