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日記 Archive

第25回-テレビのおわりに…

少し前に「チャイムやラジオのIS(インターバル・シグナル)にシビれる」という文章を書きましたが、同様にテレビの放送開始・終了時の局名告知-「ジャンクション」「クロージング」と呼ぶそうです-にも異常に惹かれます。
まぁ、これはウチのカミさんじゃなくても「怖い!」という方が多いですが(苦笑)。

目覚ましをかけて早起きして、まず各局の白黒のテストパターンをノートに描き写す。つぎに時計を睨みながら、各局の放送開始のジャンクションをアタマに焼き付ける。これが小学生の頃の夏休みの日課でした。もう40年も前の話で、当時はビデオなんてなかったですからね。

さて、このクロージング、去年の夏にちょっと話題になりました。2011年7月25日午前0時の地上波アナログ放送終了時に、各局が「アナログ放送のレクイエム」とでも言うべき、様々な映像を流したんですね。気になったので全国各地のものをYOUTUBEで観てみましたが、どうやらいくつかのパターンにわかれるようです。

◆1.なんとなく今風のCG、ビデオを流してオワリ

これは(在京では)TBS、フジ、テレ朝、テレビ東京など。ネットを見ると実に評判が良くない(笑)。特に「TBSの旧ジャンクション”ガラス棒”が観られるんじゃないか」、「フジは何かやってくれるんじゃないか」が裏切られて、この2局は評判が宜しくないですな。
確かに小学生の頃に一番好きだったのはTBSの”ガラス棒”。あれは観たかったなぁ。フジもお台場移転の時は感動的なクロージングを流したのに…。これは観ても面白くないのでリンクなしです。

◆2.昔のフィルムや社屋の写真を流す

大阪のABC朝日放送とよみうりテレビが同じことをやっていまして。これはちょっとグッと来ます。しかし秀逸なのは東日本大震災の影響で半年遅れて停波した東北放送。凝りすぎてもう短編映画のようになっています。そしてBGMがあの曲。ちょっと長いけど最後まで観ないと損しますよ!というか、最後に仰天します。コールサイン表示と白黒のテストパターンが…!!(驚愕!)



よく残ってたなぁ。これ局員号泣だったろうなぁ…。
記録映像を観ると中継所の開所時に記念式典が開かれていて土地の踊りが披露されています。関東圏の独立U局、チバテレビやテレビ神奈川ではこうはならないわけで、地方テレビ局の特別な位置づけを感じますね。感慨深いなぁ…。

◆3.昔のクロージングを流す

日本テレビが傑作「鳩の休日」を堂々と復活させ大評判でした。しかもカラー初期のサックス版だそうで。個人的にはフルオーケストラ版も好きなんですが…。



作曲は深井史郎。東映時代劇の音楽をたくさん書いていて、萬屋錦之介の出た『ゆうれい船』('57)などは私も観ました。
そういえば読売交響楽団がいつかの定演でこの曲をやって、場内大喝采だったという話も聴いたことがあるな。

そして!これも泣ける!NBS長野放送は放送開始当時のアニメを使用。「最後はアレにしましょうよ」という話になったんでしょうね。しかも画像の状態が良い!
よく観ると最新の送信所の空撮から昔のアニメにものすごく綺麗にフェードインしてるんですよ。ここに局員の愛があるなぁと感動しました。いろいろ観たけど、これが一番良かったかなぁ…。



さらに!日本でも屈指の「怖さ」で知られたRCC中国放送はこのために昔と同じ映像を撮り直したというウワサまで!画質と演奏者からすると、最も後年に撮った古いビデオじゃないかなー…。



ちなみに日本一(世界一?)怖いクロージングがこちら↓。放送も終わるけど人類、いや銀河系も終わりです。この子は星になってしまったんだね。自己責任でどうぞ…。
http://www.youtube.com/watch?v=FBNSxZg0ON8

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それにしても地上波アナログの終了って、なんでこんなに人々に感慨を与えるのか? なかには「本当はこんな風に終わって欲しかった」と自作の動画をアップしている人までいて。

かなり不思議です。「またひとつ、昭和が終わった」ってヤツでしょうか…。

第14回-楽しく読める通信の本を書きました!

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さてさて、とつぜんではありますが…。

2001年の『二十一世紀ジャズ読本』、2006年の『新入社員「こんな時どうする?」』に続き、このたび5年ぶり三冊目の著書、『プロが教える通信のすべてがわかる本』(ナツメ社・刊)を上梓いたしました。

今回は4名の共著で、定成は第2部1章「電気信号・電波のしくみ」、第3部5章「衛星通信を利用する」、同6章「無線通信を利用する」、そして第4部「通信のこれから」の全ページを執筆。各ページのイラストの下絵も定成が描いております(その他、アンテナ、中継・交換技術等も担当。合計80ページほど書きました)。

また、かつての勤務先、古河電工千葉事業所の光ファイバケーブル製造についてのインタビュー取材も担当しております。今回の目玉記事(?)かもしれません。

なお、今回は拙著の浅識を正すため、有線・無線の両分野をご専門とされている、電気通信大学名誉教授の三木哲也先生にご監修いただきました。

小学生以来40年近く親しんできた無線通信と、20余年間プロとして接してきた有線通信の世界について、絞り出すように書いた入魂の一冊…とは大げさかもしれませんが、このような形で実を結んだことは嬉しく思います。

執筆、イラストだけではなく、構成、テーマ決定など企画段階から参加していたので、出版の感慨もひとしおで…。

電線、情報通信関連企業にお勤めの方、それを目指す学生の方、ご興味をお持ちの方に広くお読み頂けるように、全ページフルカラー、イラスト、写真もふんだんに掲載致しました。ご一読いただければ幸甚に存じます。

以上、宣伝でありました。

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『プロが教える通信のすべてがわかる本』
ナツメ社 / 三木哲也・監修 / ¥1,575(税込) / 21cm / 255p / ISBN-13: 978-4816351105
現物はカッコイイシルバーの表紙です。今週末から書店店頭にも並びます。
≪Amazon≫
http://www.amazon.co.jp/dp/4816351108/

第13回-VARIGのこと

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昨年11月のブログで、名曲「ジェット機のサンバ」について記し、そのラストを「ヴァリグについては、いろいろと想ふところあり。もう1回書きます」と結びました。ではそのもう1回を。

憧れのエアラインでした。「ジェット機のサンバ」のモチーフになっているという理由もありますが、そんな単純な(?)ものではない。大好きなブラジルとヴァリグ、このふたつは切っても切れないというか、もう「同じもの」というか…。

1994年5月1日、ブラジルの国民的英雄アイルトン・セナがサンマリノGPで事故死したとき、私はそのニュースに驚くだけでなく、ひとつの光景を”畏れて”いました。彼の遺体を乗せたヴァリグが、ブラジルの空港に帰港する光景を。そんなもの、哀し過ぎる。まるで国が死んでしまったようだ…。

畏れていた通り、その数日後、セナの遺体はMD-11のファーストクラスに乗せられ、グアルーリョス国際空港にゆっくりと着陸。その機体には星形のマークと"VARIG"の文字…日本のテレビニュースで見たその光景、いま思い出しても泣けてきます。

空にはブラジル空軍機が出迎え、沿道には100万人以上のブラジル国民が。グアルーリョス国際空港と市内を結ぶ道は、その後「アイルトン・セナ高速道路」(Rodovia Ayrton Senna)と改称されています。

そんなナショナル・フラッグ、悲喜こもごもではありますが、いつか乗ってみたい!

そのチャンスを…逸してしまったんですね、私は。2005年3月に、ロスアンジェルスで学会があった時に、「ディスカウント・ビジネス・チケットが良い!」と聞き、候補として挙がったのがヴァリグと大韓航空。

「ヴァリグなんて乗ったら、機内の映画はブラジル映画だし、音楽も全部ブラジル音楽だよ」-結構、結構!大いに結構!私にとっては夢のようなエアラインですよ(笑)。ところが、帰り便のLAX発が少々朝早かった。たしか7時台のフライトで、6時ごろのチェクインだったのではないかなぁ…。

結局9時発の大韓航空にして、「まぁ、ヴァリグは、次だな」と考えていましたが…わずか3ヶ月後、2005年6月破綻。翌2006年1月には、実に38年続いた日本路線も撤退してしまったのでした。

結論は…「何かやろうと思ったら、そのときにやらなければ駄目」。これにつきます。

いつか乗ろうと思っていたエアライン、いつか聴こうと思っていたミュージシャン、いつか行こうと思っていたお店…存在は永遠ではありませんね。「いつまでも、あると思うな…」です。

特に私の世代が思い入れの深いモノやコトは、なくなる可能性が高い(苦笑)。「若大将みたいにパンナムで海外旅行」も幻。ヴァリグもタッチの差で乗れず。大好きなブロッサム・ディアリー(vo,p)も、私と妻がNY行きでモタモタしているあいだに、NYよりももっと遠いところに旅立ってしまった。

≪今回のお楽しみリンク≫

◇'60年代のヴァリグのCM。平和だった頃のリオの風景…
http://www.youtube.com/watch?v=Oj5MveVUP5Y
◇同じく'60年代のアニメCM。リスボン-リオのヴァリグなんて、もうなんといえば…
http://www.youtube.com/watch?v=cgWdcFoNeNI

第7回-海外のSF作品について

Orphans of the Sky


SF児童文学の現状批判2
「海外のSF作品について-ウエルズさまに、ベルヌさまさまの…」


はじめに

わたくしたちは、いままでに数多くのSF作品に接してきました。読者であるわたくしたち自身が、それを意識していたかどうかは別として、作品名をあげれば、<あっ、あれもか。これもそうだ>というように、次から次へと出てくるはずです。
このような海外のSF作品が、日本に紹介されはじめたのは、明治初期のことでした。『新設・八十日間世界一周』(川島忠之助訳)が明治十一年に、『二万海里海底旅行』(鈴木梅太郎訳)が明治十三年にというように、すでに九十年の歴史を持っています(中略)。
ところが九十年たったいまでも、SFが正しく理解されているとは限りません。-SFの定義については、どなたかが別に書かれるとは思いますが-。たいせつなことなので少しだけふれてみようと思います。

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以上は私の文章ではありません。こんなことをするのは初めてですが、私の父親が今から42年前、昭和43年(1968年)に河出書房の『日本児童文学』3月号に発表した、海外のSF作品についての紹介、評論文の冒頭部です。

そろそろお盆も近く、私の父親も…実家で母親、ブラックラブラドールと共に極めて元気に健在ですが(笑)、いや、不思議なものですね、自分の肉親が何十年も前に書いた文章に接するというのは。この文章を知ったのはまったくの偶然で、とあることで父親の名前を検索していて、ひっかかってきたのです。あれ?なんだか、文体が父親に似てしまった(苦笑)。
大阪の吹田市にある財団法人大阪国際児童文学館の索引に父親の名前があり、現在は廃止されてしまったかもしれないインターネット経由での資料コピーサービスで東京まで取り寄せました。

私の父親は当時はまだ水産会社の社員だったはずで(ついでに私は2歳半で)、このSF論も「二足の草鞋」で書いたものだと思います。父親は昭和14年の2月生まれなので、この文章は若干29歳のときのものですね。若いわりにがんばっているな(笑)。
父親はその後、会社を辞め、自分で会社を作り、文筆業を経て大学で教鞭を執りますが…血は争えないもので、私も同人誌ではなく、原稿料を貰って文章を発表したのは、新卒で入った電線会社社員時代でした。その後、出版社に転職、そこも辞めて文筆業兼会社経営者となりますが、大学のセンセイにはなれないでしょう。無念。

ちょっと残念なのが、父親の文章はインターネットなど影も形もなかった1960年代に書かれたもので、全文に触れる機会が極めて限られていること。せっかくなので、ここで全文を公開しようかと思いましたが、これが非常に長い。好きな分野のことを書くと、妙に長ったらしくなるのは親子共通だった模様(笑)。肉親の文章とはいうものの、版権上の問題もありますし。

今の私よりも15歳も年下の自分の父親の文章(ややこしいな)が、このあとどうなるかというと、SFの元祖的作品としてまずスウィフトの『ガリバー旅行記』を挙げ、続いてウエルズの『宇宙戦争』が昭和31年から37年までの間に、5回にわたって(というか"5回も")和訳されていることを説明。
あとは注目作品の詳説で、ベリヤーエフの『合成人間』を、「子どもたちは学問の意味を再考するでしょう」と紹介。ハイラインの『のろわれた宇宙船』は、「彼の描く未来社会や事件、登場人物といったすべてのものがリアリティをもって、読者であるわたくしたちにせまってきます」と賞賛しています。
そして、スロポトキンの『三人乗りの宇宙船』を採り上げ、「(登場人物の)おばあさんを通して、世の常識主義、直感的経験主義とかいうものが、どんなにもろいものかを教えてくれます」とまとめています。
なるほど、父親の趣味はこのあたりだったか。しかしわずか6ページながら、引用、紹介している作品数が膨大。ウチのオヤジってこんなにSFに詳しかったのか?! ベリヤーエフとスロポトキンは、私も読んでみたくなったな。

結論部分が興味深く、「SFでは、あらゆる可能の世界を舞台にとる権利を留保しているのです。」と切り出し、ここで副題となっている「ウエルズさまに、ベルヌさまさまの…」が登場します。

「アシモフ、ハイラインといった本物の小説としてのSFが書ける作家が登場して、彼等がすぐれたジュヴィナイルものを書いているにもかかわらず、いまさら、ウエルズさま、ベルヌさまも、あるまいに」

-と少々過激に提起。上記、「原文ママ」です。こんな出版社に楯突くような文章、よく載せたな、河出書房も(笑)。一応その直後に「…と思うのは、わたしの偏見でしょうか」とフォローしていますが。
この名作偏重傾向は出版社の事情だけではなく、「読者であるわたくしたちに、その責任の一端がある」とも書いていますね。この視点は私にはないものなので、勉強になります。2010年のいま、私(定成ムスコ)のまわりで、「ジャズファン、映画ファンであるわたくしたちに、その責任の一端がある」ケースもあるでしょう。ううむ…。

最終的に児童文学は「名作物の花ざかり」が多いが、SFはよりその傾向が強く、父親としては、1940~60年代に書かれた-当時としては「近代の」-優れた新作を読んで欲しい、という趣旨だったようです。最後は「近年さかんになった、日本のSF創作どうわの中に、むしろ海外のそれよりも、すぐれた作品があるように思えるのは、わたしだけでしょうか」と締めています。なるほど、そうまとめましたか。

ついさっき、ツイッターで権威的な映画監督よりも、すぐれた職人監督こそ素晴らしいとつぶやいたばかりです。「小津安二郎より成瀬巳喜男、市川崑より川島雄三、黒澤明よりも丸根賛太郎や岡本喜八、と思うのは、わたしだけでしょうか」。最後のフレーズは父親の文章のコピペです(笑)。

似ているような、似ていないような、不思議な親子の話でした。

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