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2014年09月

第47回-80年代の私のアイドル-トニー・マンスフィールドその2

「私の高校時代はトニー・マンスフィールドと共にあった」-あまりの思い入れに文章止まらず。'80年代のサウンド・メーカー、トニー・マンスフィールドのご紹介。2日連続の更新。
前回は彼のホーム・グラウンドだったバンド、New Musikについて書いたが、今回はプロデュースワークについて。

日本で最もトニ・マン(と皆呼んでいた)に近かったのは高橋幸宏だろう。'81年のアルバム『NEUROMANTIC~ロマン神経症』のロンドン・レコーディングにトニ・マンを呼び、独特のノイズ使いやシンセ・サウンドを導入した…ことになっているが、実は彼を含めNew Musikのメンバーは楽器が超ヘタクソで、「レコーディング当日になってドタキャンして逃げた」という逸話もあったように思う。実際のところはどんな絡み方だったのだろうか?

そしてトニ・マンがアレンジした最も有名な曲は、かの元祖ネオアコ、アズテック・カメラのデビュー曲である、これだ! "Walk out to winter"



いやもう、なんというか、イントロのシンセ一発目から、「トニ・マンだ!!」と叫びたくなるオーヴァー・プロデュースっぷり?!
これを聴いたのは「高橋幸宏のオールナイトニッポン」で、しかもアズテック・カメラのデビューは日本でもそこそこ話題になっていたので、なんと翌日、「日本盤はいつ出ますか?」とジャパン・レコードまで電話してしまったのだな、逗子在住のたかが男子高生のクセして(笑)。

ところが電話の相手は「確かに*月*日に国内盤が出ますが、"Walk out to winter"のアレンジは"その人"ではない」と。どうやら英国盤12インチだけがトニ・マンだったらしい。しかし「あのアズテック・カメラはトニー・マンスフィールド編曲のシングルでデビューした」-これはもっと大々的に語られて良いロック史の1ページだと思うのだが…。

しかししかし、トニマンはこの後でとてつもない仕事をする。パンク御三家のひとつ、ダムドのヴォーカル、キャプテン・センシブルに映画『南太平洋』のエキゾチック・ナンバーを歌わせて、全英No.1ヒットをモノにするのだ! それがこの曲「ハッピー・トーク」である。



しまった。前回、New Musikの"Luxuary"を「ジンセイナンバー1テクノ」と書いたが、こっちこそがナンバー1か?

なんというか、これぞトニー・マンスフィールドの頂点。曇ったような、なぜか懐かしい感じのするシンセの音にキラキラのリフ。たまらんなぁ。またキャプテン・センシブルがハマってるんだよ。
この曲が入ったキャプテンのソロ・アルバム『Women and Captains First』('82)をプロデュースして…そしてこのあと失速してしまったような気が…。

今まで書かなかったが、同時期にもうひとりMari Wilsonというレトロ・ヴォーカリストでもスマッシュヒットを飛ばしており、'83年のネイキッド・アイズもそこそこに売れたように思うが…'84年にA-HAの世界的ヒット"Take On Me"をアレンジするもボツになり、Yip Yip Coyote(イップ・イップ・コヨーテ)なる珍妙なテクノ・ウェスタン・バンドでケチをつけ…まぁ、Yip Yip Coyoteはサビのところで「サダナリ、イヒヒヒ」というソラミミがあるので紹介しておこうか。0'45"付近。今見ると「イカ天」バンドみたいだなー。ちょっと新し過ぎたか?!



さて、この'80年代半ばから'90年代にかけて、トニー・マンスフィールドに代わって全英はもちろん全世界的に大ヒットを飛ばしていた実によく似たプロデューサーがいる。ご存知、トレヴァー・ホーンである。

こうしてサウンドを挙げて行くと…'80年代の前半、シンセがアナログだった頃にはトニー・マンスフィールドの魔法が炸裂していた。しかし'83、'84年頃、サンプリングやデジタル・シンセが登場するとなぜか精彩を欠き、それらを徹底的に駆使したトレヴァー・ホーンの時代がやって来た、という気がするなぁ。わずか「数年の人」だったのか…。

(ちなみに'90年代には誰が誘ったのか遊佐未森やチャゲ&飛鳥のアレンジもやっているようだが、それはまったく聴いていない)

以上、'80年代における私のアイドル、トニー・マンスフィールドについて。ここ10年くらいは全く音沙汰がない。こう言ってはナンだが、2004年の英国プリンセス・トラストでかつてプロデュースしたアーティストを集め、そしてリリースから25年目の初めての「バグルス生演奏による『ラジオスターの悲劇』」で満員のウェンブリー・アリーナを熱狂させた(DVD買って全オレも泣いた)トレヴァーとは大違いなのである。寂しいのである…。

第46回-80年代の私のアイドル-トニー・マンスフィールドその1

80年代音楽シリーズが続いているが、今回は「80年代の私のアイドル」…といっても色気のあるほうではなくて、サウンド・メイクに夢中になった音楽面のほうである。

そのサウンドを初めて知ったのは、かなり昔にこのブログにも書いたラジオ関東(元・ラジオ日本)のニューウェイヴ番組「ポップ・ザ・ヒーロー'80's」だった。1981年の秋頃。その時のDJは本来の高橋幸宏だったか、ピンチヒッターの鈴木慶一だったか…(実家にカセットテープがあるが…)。

「いまロンドンで話題のポップ・バンド」と言って紹介されたのがこの曲。"Luxury"である。



このシンプルな、ノイズを多用したテクノポップを、ノイズ混じりでフェージングのかかった中波放送で聴く快感! しかもなんと、タイミングの良すぎることにイントロのヴォーコーダーに合わせてフェージングが起こり、「ヴワァァ~~」と音がせり上がって来たのだ。今思い出してもトリハダが立つ!

グループの名前はニューミュージック。日本では少々微妙な語感を持つが、英語では"New Musik"と表記する。
それにしても、驚いたのが私の「ツボ」がここまで詰まった曲があったのかということだ。淡いヴォコーダー、チープで抜けの良いリズムマシン、ホワイトノイズを加工したパーカッションと当時通称「潜水艦」と呼ばれた「キカ~~」という音。そして翳のあるメロディーにイギリス訛りのヴォーカル…当時私は高校1年、来年いよいよ50歳になるが、いまだにこの曲は「ジンセイのベスト1テクノポップ」かもしれない。

「LPが欲しい! このバンドの曲をもっと聴きたい!」と思ったら、なんと当時買っていた雑誌「ビックリハウス」に紹介されており、忘れもしない「1981年11月15日、16歳の誕生日のお祝い」として親に買ってもらった。ずいぶん耳の良い人がいたもので、こんな通好みのバンドでも当時日本盤が出ていたのだ。とはいえ三浦の田舎のハナシ。さすがに店頭にはなかったので、逗子銀座通りの湘南レコードで取り寄せて貰った記憶がある。

そしてLP『From A to B』('80)を聴くと…どの曲も最高だった。英国でシングル・カットされてそれなりのスマッシュ・ヒットとなったのはこの"Straight Lines"か。アルバムではA面1曲目。オープニングを飾るナンバーである。



しかしこれはごく最近、YOUTUBEの時代になって知ったのだが、日本では本当に「マニヤ向け」という感じだったNew Musikだが、本国ではTVに出るほどのソレナリのポップ・バンドだったんだなぁ…と思ったら、ちょっと地味な"Living by Numbers"という曲が全英13位になっている。売れてたのか?! これはB面の2曲目だったなぁ。



残念ながら日本盤はその『From A to B』しか発売されなかったが、私もそれなりに行動力を得て(笑)、『anywhere』('81)、『warp』('82)という2枚のアルバムを輸入盤で入手している。どこで買ったんだったかなぁ…。横須賀のウォーターランドだったような、代々木のイースタン・ワークスだったような、いやもしかしたら青山のパイド・パイパー・ハウスか…。
実は『From A to B』以外のアルバムはイマイチだったりするのだが(苦笑)、それでもこの曲"here come the people "には驚いた。



SIMMONSドラムが多用されており、サンプリングした水の音がパーカッションとして使われている。ううむ、ちょっと時代が変わった感じ…だが、やはりこの不思議な構成は"Luxury"に通じるものがある。この曲を最初に聴いたのは坂本龍一のFM番組で、やっぱりこの曲でも震えたなぁ…。

さて、このサウンドを作り出していたのがギター&ヴォーカルのトニー・マンスフィールドで、彼こそが私のアイドル。私の高校時代はトニー・マンスフィールドと共にあったと言っても良いのだが…長くなりすぎ! 今回は彼のホーム・グラウンドだったNew Musikの紹介まで。後編に続く!
それにしても、こんなに好きなミュージシャンなのに、じっくりと文章を書くのはこれが初めてだ…。

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