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2015年04月

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第54回-魅惑のロックインスト-その6・90年代、渋谷で買ったハウスとか

ロックインスト特集第六回目。ロックインストはとりあえずここまでにしようかな。

前回は'81年から'83年頃にかけて話題になったドゥルッティ・コラムとヴィニ・ライリーについて書いた。じわじわと現代に近づいているが、その次、'90年代初頭になると一大レコード・ブーム、CDブームが押し寄せてさ再発コンピの嵐! 渋谷のセンター街や井の頭通りが「世界で一番レコードショップの密集した場所」と言われた、いわゆる渋谷系の時代が到来する。人気盤は'50~'60年代から'70年代初頭あたりの発掘音源。そして実は、この特集の最初の方に採り上げた楽曲に戻ってしまうのである。一巡してしまった?!

しかしもちろん旧譜発掘だけではない。この時代ならではのインスト・ロックと言えばハウスやテクノ、一部のファンクが挙げられる。

当時私はほとんどの週末を渋谷で過ごしていた。ライヴ、DJイベント、映画、CD&LP発掘作業、時に自分のライヴ等々。夜遅くまで遊び呆けるといつも南口そばの半地下になったロックバーに行き、飲み食いをして、そして「米国直輸入」という黒人音楽専門TV局のビデオを買っていた。米国の音楽TV局を勝手に録って、勝手に売っていたもの。海賊版である。そしてそれをカバンに詰めて、房総の先にある電線会社の独身寮へ。

その海賊版ビデオで「へぇ」と驚き、あまりの曲の良さに親にまで紹介してしまった(?!)のがハウスの雄、今は亡きフランキー・ナックルズの"The Whistle Song"である。



'91年のリリースだそうだ。「ハウス不朽の名作」と呼ぶ声も多い。確かになぁ、なんでこんな曲が出来たのか、不思議ですらある奇跡のチューンだ。私はハウスの歴史に精通しているわけではないが、この後、ハード・ハウスやトランスなどが主流となり、フランキーのようなメロディアスなサウンドは主流ではなくなっていったそうだ。
しかしこのブログで何回も書いている通り、サウンドは、やがて繰り返す。糖尿病の合併症のため「'12年のリキッド・ルームでの来日公演の時点で、すでに足の一部を切断していた」という彼の逝去('14年3月。オバマ大統領も追悼コメントを発表)が悔やまれる。

同じく'90年代の初頭、聴きまくっていたインストがある。演奏者は日本人…いや、もうこの人には国籍は関係ない。屋敷豪太のこれだ。"Live Wired Electro"。



この曲が収録されたアルバム『Live Wired Electro』は'95年4月1日発売。この年の1月に5年にわたる工場勤務を終えて、東京・丸の内の本社に転勤。ところが独身寮が3.8畳という恐ろしい狭さで…しかし住めば都。発売されたばかりのパイオニアのCDJ-50(CDJ一号機)にこのアルバムを入れて、ループを取って遊んでいた…懐かしいな。

屋敷豪太はメロン時代、いやミュート・ビートの前身"ルード・フラワー"時代から聴いており、ミュート・ビートの初ホールライヴ('89年)は前から2、3列目で観た。'91年のシンプリー・レッド加入、その後の活動はいうまでもない。

そしてその3.8畳のCDJ-50で、屋敷豪太と交互にかけていたのがテイ・トウワのこれ。



名曲"Technova"。ちょっとヴォーカル(vo. Bebel Gilberto)も入っているが、ほぼインスト。これは'94年10月か。グッと来るなぁ…。
'95年11月に東京MX-TVが開局。ところが放送するものがなかったのか、夜遅くになると「トウキョウトラフィック」というタイトルで首都高を走る車のフロントにセットしたビデオカメラで撮影した風景を延々放送していて、それに合わせてこの2枚をプレイしていた…なんてことも思い出した。テイ・トウワもライヴ行ったなぁ。

なんだろう? いま聴くと「温もり」すら感じる?! バブルはもう崩壊していたけれど、みんなまだなんとなく元気で、なんとなく明るかった。そんな時代だったのかもしれない。'90年代中盤。いま敢えて気になる時代でもある…。

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