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2015年08月

第57回-1980年代の中の1960年代-その3・植木等の復活

「1980年代の中の1960年代」3回目。1965年生まれで中学入学が1978年4月、高校卒業が1984年3月だった私だが、考えてみれば(時間的には)'60年代というのはそれほど遠い存在ではなかった…とはいうものの、カルチャー的にはずいぶんかけ離れたものになっていたが。その時間軸とコンテンツのギャップが、私のアタマの中に今日に至るまでずいぶんと不思議な印象を残している。

植木等を主役に据えてクレージー・キャッツが助演した東宝のクレージー映画、無責任シリーズと日本一シリーズは'62年から'71年までの9年間に30本が製作されている。'63、'64、'66、'67年には年に4本。モーレツなスピードである。このほかスピン・アウト版ともいうべき谷啓主演の2本も'68、'69年に製作されており、'64年からは松竹でハナ肇主演の「馬鹿シリーズ」も作られていた。

とまぁ、'60年代には数十本に及ぶクレージー映画があったわけだが、いまやマニヤ向けの観のあるこれらの作品も、私が中学、高校の頃は言い方は悪いが「埋め草」のようにテレビで放映されていた。クレージー作品は東京12チャンネル(現テレビ東京)の「日曜邦画劇場」が多かったか。我が最愛のクレージー作品、『クレージー作戦・くたばれ無責任』('63)を観たのも「日曜邦画劇場」だった。
(さらに印象深いのは森繁久弥が主演した社長シリーズ、駅前シリーズで、これなど日曜昼の土居まさる司会の「TVジョッキー」で「男子ボインちゃん大会」などを観て、そのままチャンネルを変えずに付けっぱなしにしていると毎週のように放送していた。後年、東宝や系列の東京映画の製作状況を調べるために見直したが、「これは中学の時に暇つぶしに観たな」という作品が沢山あった)

さて、そんなクレージー映画と植木等だが、これもまた1980年代に突如復活する。まるで前回書いたザ・ベンチャーズのように。
正しくは1979年のことだが、クレージー・キャッツ結成25周年の日劇での舞台公演。そして久々のシングル「これで日本も安心だ」と、それに連動した「鶴光のオールナイト・ニッポン」の特番だ。

この特番のことはよく覚えている…ような、忘れてしまったような。確かどこかの映画館(池袋の文芸坐だったか、日比谷のどこかだったか)と二元中継にして、クレージー映画のリバイバル上映会と、ニッポン放送のスタジオを繋いでいたのではなかっただろうか。植木等は映画館の方にいて、当時の思い出や近況、家族のことなどを生で語っていたように記憶する。まさに「クレージー・キャッツ大復活祭」だ(記憶違いがあればぜひご指摘を)。

そしてシングル「これで日本も安心だ」の発売。ほぼ10年ぶりの青島幸男・作詞、萩原哲晶・作曲による「無責任ソング」で、NECの二カ国語放送対応カラーテレビ「語学友」のCMソングにも使われ、CMにも植木等本人も出演していた(ちなみに日本で最初に制作された二カ国語CMでもあった)。



'70年代の後半からクレージー映画に夢中になっていた私は、「ついに俺の時代が来た!」と狂喜したものだが、彼らの本格的な復活は"このタイミング"ではなかった。シングル「これで日本も安心だ」が賛否両論だったのだ。
青島・萩原コンビと書いたが、大事な編曲は体調が優れなかったデクさん(萩原)ではなく、バリバリと仕事をこなしていた宮川泰であった。宮川とクレージーは無縁ではなく、'69年にほぼデクさんサウンドを踏襲した「ウンジャラゲ」というヒット曲が宮川の作・編曲、藤田敏男の作詞で作られている(作詞は宮川と植木という説もある)。しかし、この「これで日本も安心だ」のメロディとアレンジには異論を唱えるクレージー・ファンが多く、そしてセールスもいまひとつだった。

最後のクレージー映画が'71年12月31日公開、'72年のお正月映画だった『日本一のショック男』。それから7年しか経っておらず、この'79年の復活運動(?)は「まだ早かったのか?」という気もする。サウンドにしてもファッションにしても、なんとも中途半端に、10年近く前のものが蘇った…なんとも微妙な存在である。

しかしさらに数年を経て機が熟した。大瀧詠一氏の手による'86年4月発売の新曲「実年行進曲」と、'89年の市川準監督作品『会社物語』が、今日に繋がるクレージー再評価を決定づけたように思う。「実年行進曲」は萩原哲晶を敬愛する大瀧詠一入魂の一曲。'84年に逝去した萩原哲晶の名を「原編曲」としてクレジットし、敬意を表している。



確かに「これで日本も安心だ」とは全く違うクオリティ。まぁ、もっとも「ナイアガラ音頭」の、「ビックリハウス音頭」の、そして萩原との共作「イエロー・サブマリン音頭」の大瀧詠一である。私のような古いナイアガラ・ファンからすれば、「元々こういう編曲をする人」という気もするが(笑)、まぁ、まさに水を得た魚ということか、「心を込めてルーツにご奉公」ということか。

「実年行進曲」から『会社物語』、'90年の「スーダラ伝説」から2006年のクレージー最後のシングル「STILL CRAZY for YOU」まではまた別の機会に。たぶん数回に分けて。今回はあまり触れられない、'79年頃の第一次(?)復活運動について記しておく。

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