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2016年05月

第64回-冨田勲・賛-その1「シンセ・ディスコ・サウンド」

冨田勲氏が亡くなった。初めて聴いたのが1977年、小学校6年生の時だ。今でも付き合いのある(音楽好き高校生のお兄さんのいる)大親友のT君が『惑星』を聴かせてくれたのが最初だった。以来40年近く。数々のアルバムを聴き、シンセサイザー音楽だけではなく映画やテレビでの優れた楽曲にも驚き、そして憧れだったトミタ風の「シンセサイザー・スタジオ」を高校・大学時代に自室に持ち…どれほどの影響を受けたかわからず、ごく最近も『タモリ倶楽部』での飄々とした姿(話の内容が実にタモリ倶楽部的で見事にハマッていた)に感動してしまったのだが…。

人には寿命がある。そういうことだろう。子ども向けの電気雑誌『ラジオの製作』(1954年創刊・1999年休刊)や『FMレコパル』で夢中にトミタを追いかけた小学生が、もう50歳を過ぎているのだから。むしろよくぞ80代の半ばまで、最後の最後まで、倒れたその日の午前中まで(新作アルバムの打ち合わせをしていたそうだ)、我々に刺激を与え続ける現役でいてくらたということに感謝しなければならない。

さすがに影響力の大きい人物だったようで、逝去数日後からネット上にもその死を惜しむブログやツイートが散見される。私も何か書こうと思うのだが、あまりにも思い入れが強すぎてどこから手を付けて良いのやら…「あまり語られていないが、ぜひ知って欲しいいくつかの事柄」について書く。ますはここからだ。

「日本で最初の、日本人によるロックビート、ディスコビートのオール・シンセ・サウンドはトミタである」-私の世代まではごく当たり前に認識されていたことなのだが、今の打ち込み系青少年にはあっまり知られていないかもしれない。それは1978年1月に発売されたアルバム『宇宙幻想』に収録された映画『スター・ウォーズ』のテーマのカヴァーで、小学校卒業間際にこれを聴いた私は、「これを待っていた。完全に新しい時代が来た」と震えた記憶がある。



実はこの前にも何組かの日本人アーティストが「シンセで奏でるロック&ポップス」のような謎めいたカヴァーアルバムを出しており(楽器はアープ・オデッセイかミニムーグが多かった)、冨田自身も1972年に『スイッチト・オン・ヒット&ロック』という4chステレオ・アルバム(タイトルはウェンディ・カルロスのもじりだろう)をリリースしているが、なんというか、トミタ版「スター・ウォーズのテーマ」は特別だったのだ。もちろんEL&Pなどのプログレもあったし、クラフトワークも知られ始めていた。しかし、ポップスのセンスで言って、トミタがダントツだった。
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が1977年12月14日に米国で、1978年7月15日に日本で公開されまさにエレクトリックなディスコ・サウンドが話題になりつつあった、そのタイミングでのリリース。ジョルジオ・モロダーがドナ・サマーの「I Feel Love」でシンセ・ディスコ・サウンドを確立したのが1977年の7月。その真っ只中に、トミタはいたのだ。

アルバム『宇宙幻想』はまずNHK-FMの番組「夜の調べ」(のちのクロスオーバーイレブン)でエアチェックし、追ってLPレコードを親に買って貰った。A面のラストに収められた「スター・ウォーズのテーマ」を小学校の、そして入ったばかりの中学校の給食放送でかけまくった。もう何回かけたかわからないほど、かけた。要するに(YMOデビュー前の)当時のヤングにとって、"国産"の踊れるシンセの曲はトミタのこの1曲しかなかったのだ。
ちなみにYMOがデビューするのが中学1年の秋、1978年の11月25日。そのファースト・アルバムにも本当に驚愕したが、「トミタが1年早かった」これは正しく記憶されるべきだろう。YMOのMC-4プログラミングとムーグのセッティングを行っていた松武秀樹が、YMO以前、専門学校時代から冨田のアシスタントだったというのは有名な話である(つづく)。

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