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2019年04月

第85回-雑誌記事からこぼれたこと-その2・トミー・テデスコとゴングショー

月刊誌「JAZZ JAPAN」の新作映画レビューに書き切れなかった、しかし書き残したいエピソードの二回目。

『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』は2016年2月に日本公開された'60~'70年代のロック黄金時代を支えたセッション・ミュージシャンたちのドキュメンタリーである。その4年前の'12年に「The Wrecking Crew」という音楽書が出版されており(これも読んだ)、私は当初、その本をもとにした映画化だと思っていた。ところがこれが全く異なる経緯の作品だったのだ。

監督はデニー・テデスコ。この名前を聴いて気がついた人は超弩級の音楽ファンだ。デニーの父はレッキング・クルーの名ギタリスト、トミー・テデスコ。映画は彼の死(1997年)を伝えるMTVやCNNのニュースから始まる。CNNは「彼の名前を知らなくても、この曲は御存知でしょう」と語り、次の3曲を挙げた。







TVシリーズの「ボナンザ」や「バットマン」、そして懐かしの「農園天国」のギターを弾いていたのが彼だ。しかしあまりにも裏方に徹しすぎていたので訃報で名前を間違えられ(トニーやトデスコ)、息子のデニーも「死んで初めて名が知れた」と皮肉げに語った。

もちろんTV音楽だけではない。彼がロックの世界に果たした功績も偉大だ。例えばこの2曲。





なるほど「Surf City」のミュートギターは「バットマン」に似ているし、「Up, Up and Away」は彼が得意としたフラメンコ調だ。そして忘れてはいけない、"あの"傑作映画のギターも彼だ。



テデスコの功績を記して行くとキリがないのだが、そんな尊敬すべき父親が癌になり「父の話をしたくて作った」映画が『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』だった。これは一種のファミリー・ムービーだったのだ(ここまでは雑誌にもかいつまんで書いた)。

さて本題。雑誌のレビューに書き切れなかったこと。

1975年にテデスコは「俺はナンバーワンだった…」で始まる弾き語りの「Requiem for a Studio Guitar Player(スタジオギタリストのための葬送曲)」を冗談半分でリリースする。そして当時人気のあったTV番組「ザ・ゴングショー」に「125kgのバレリーナ」と称してピンクのコスチュームで出演。この曲を熱唱する。

なんとこの時のテデスコを1979年に日本のテレビで観ているのだ。父と母と、中学2年生だった私は。

「ザ・ゴングショー」と「ララショー」は平日2300から30分間、テレビ東京で字幕放映されていて、我が家は大ファンだったのだ。映画にはこの時のテデスコの姿も登場する。まさかほぼ40年ぶりにその姿を観るとは…。

当時は当然トミー・テデスコなど知らず、「きっと向こうでは有名な人なんだろうね」と言いながら観ていた。歌詞が秀逸で途中で吹き出した記憶もある。
そして、番組の最後に発表される「ザ・ゴングショー」名物"今日のチャンピオン"は見事テデスコに輝く。バレリーナ姿の彼は巨漢を揺らしながら飛び上がって喜ぶ。映画のエンドロールにはこのシーンも挿入されており、私はなぜかここで号泣してしまったのだ。

テデスコとレッキング・クルーが'70年以降どうなったか。そこまで記すとこの数倍の文章になってしまうので、今回はここまで。

1979年に神奈川県逗子市の居間のテレビで三人家族が観た「125kgのバレリーナ」には、こんなストーリーが秘められていた。これには本当に驚いた。しかしこれも、あまりにも長くなるのと私的過ぎて雑誌には書けなかった。なのでここに書いた。

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