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第65回-冨田勲・賛-その2「パピプペ親父」

冨田勲のシンセサイザー音楽は日本だけではなく世界的にも「トミタサウンド」と呼ばれるが、そのトミタサウンドには「常連」ともいうべきいくつかの音色があり、ファンはそれに夢中になり、トミタ本人も自分の分身のように愛でていたようだ。それはまるで手塚治虫の漫画に登場するヒゲオヤジやヒョウタンツギのような存在で…と書きかけたら、なんとその両者を比較するWebページが存在した! 驚いた!!

さて、トミタサウンドの常連で最も重要なのは通称「パピプペ親父」だろう。トミタがムーグに「喋らせよう。歌わせよう」と考えて作った、人間の声を模したサウンドである。
古くは『月の光』('74)、『展覧会の絵』('75)にも登場していたが、衝撃的だったのは『惑星』('77)のロケット打ち上げの場面。ここではなんと音程なしに管制官と宇宙飛行士として喋り、続けて「惑星」のテーマを鼻唄のように歌い、そして打ち上げのカウントダウンを行っている。ムーグのシンセがである。下記の動画の50秒付近から2分半付近にかけて…。



「トミタは本当にこのサウンドが好きなんだな」と痛感したのは前回紹介した「スター・ウォーズのテーマ」。あの曲では見事に(?)全編のベースラインを務めている。

この「パピプペ親父」が偉大なのは、この発想、この手法がデジタル化され、母音・子音を持ち、オヤジが女声になったのが「初音ミク」であるというトンデモない話に繋がるからだ。初音ミクが登場した時に、トミタは「やっと望んでいたものが出来た」と思ったそうだ。「パピプペ親父」はほぼ世界初のヴォーカロイドとも言える。ミクに先駆けることほぼ40年。そしてトミタは「イーハトーヴ交響曲」で初音ミクを全面的にフィーチャーした。

前回は「国産の踊れるシンセの曲はトミタのこの1曲(「スター・ウォーズのテーマ」)しかなかった」と書いた。同様に、1970年代に於いて日本で、いや世界で唯一のヴォーカロイド手法を用いていたのはトミタだったと言えるだろう。
クラフトワークの「アウトバーン」('74)や「ヨーロッパ特急」('77)にもロボットヴォイスは登場するが、あちらはヴォコーダーだった。リアルタイムで歌われる人間の肉声を音源とせず、電気的に合成された音源を変化させてヴォーカルとする。そこにこの「パピプペ親父」の凄さはある。名前はトンマだが…(サウンド編つづく)。

第64回-冨田勲・賛-その1「シンセ・ディスコ・サウンド」

冨田勲氏が亡くなった。初めて聴いたのが1977年、小学校6年生の時だ。今でも付き合いのある(音楽好き高校生のお兄さんのいる)大親友のT君が『惑星』を聴かせてくれたのが最初だった。以来40年近く。数々のアルバムを聴き、シンセサイザー音楽だけではなく映画やテレビでの優れた楽曲にも驚き、そして憧れだったトミタ風の「シンセサイザー・スタジオ」を高校・大学時代に自室に持ち…どれほどの影響を受けたかわからず、ごく最近も『タモリ倶楽部』での飄々とした姿(話の内容が実にタモリ倶楽部的で見事にハマッていた)に感動してしまったのだが…。

人には寿命がある。そういうことだろう。子ども向けの電気雑誌『ラジオの製作』(1954年創刊・1999年休刊)や『FMレコパル』で夢中にトミタを追いかけた小学生が、もう50歳を過ぎているのだから。むしろよくぞ80代の半ばまで、最後の最後まで、倒れたその日の午前中まで(新作アルバムの打ち合わせをしていたそうだ)、我々に刺激を与え続ける現役でいてくらたということに感謝しなければならない。

さすがに影響力の大きい人物だったようで、逝去数日後からネット上にもその死を惜しむブログやツイートが散見される。私も何か書こうと思うのだが、あまりにも思い入れが強すぎてどこから手を付けて良いのやら…「あまり語られていないが、ぜひ知って欲しいいくつかの事柄」について書く。ますはここからだ。

「日本で最初の、日本人によるロックビート、ディスコビートのオール・シンセ・サウンドはトミタである」-私の世代まではごく当たり前に認識されていたことなのだが、今の打ち込み系青少年にはあっまり知られていないかもしれない。それは1978年1月に発売されたアルバム『宇宙幻想』に収録された映画『スター・ウォーズ』のテーマのカヴァーで、小学校卒業間際にこれを聴いた私は、「これを待っていた。完全に新しい時代が来た」と震えた記憶がある。



実はこの前にも何組かの日本人アーティストが「シンセで奏でるロック&ポップス」のような謎めいたカヴァーアルバムを出しており(楽器はアープ・オデッセイかミニムーグが多かった)、冨田自身も1972年に『スイッチト・オン・ヒット&ロック』という4chステレオ・アルバム(タイトルはウェンディ・カルロスのもじりだろう)をリリースしているが、なんというか、トミタ版「スター・ウォーズのテーマ」は特別だったのだ。もちろんEL&Pなどのプログレもあったし、クラフトワークも知られ始めていた。しかし、ポップスのセンスで言って、トミタがダントツだった。
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が1977年12月14日に米国で、1978年7月15日に日本で公開されまさにエレクトリックなディスコ・サウンドが話題になりつつあった、そのタイミングでのリリース。ジョルジオ・モロダーがドナ・サマーの「I Feel Love」でシンセ・ディスコ・サウンドを確立したのが1977年の7月。その真っ只中に、トミタはいたのだ。

アルバム『宇宙幻想』はまずNHK-FMの番組「夜の調べ」(のちのクロスオーバーイレブン)でエアチェックし、追ってLPレコードを親に買って貰った。A面のラストに収められた「スター・ウォーズのテーマ」を小学校の、そして入ったばかりの中学校の給食放送でかけまくった。もう何回かけたかわからないほど、かけた。要するに(YMOデビュー前の)当時のヤングにとって、"国産"の踊れるシンセの曲はトミタのこの1曲しかなかったのだ。
ちなみにYMOがデビューするのが中学1年の秋、1978年の11月25日。そのファースト・アルバムにも本当に驚愕したが、「トミタが1年早かった」これは正しく記憶されるべきだろう。YMOのMC-4プログラミングとムーグのセッティングを行っていた松武秀樹が、YMO以前、専門学校時代から冨田のアシスタントだったというのは有名な話である(つづく)。

第62回-フェイク・エスニック1989-後編

エスニック・ミュージック全盛の1980年代末、ワタシは正統派を聴かずにフェイクなものばかりを愛していたというお話し。前編の3ムスタファズ3に続いて、後編はブレイブ・コンボについて。

1979年に米国・テキサスで結成されいまだ現役ながら日本語版Wikiもないこのベテラン・バンド(苦笑)、ジャンルは「パンク・ポルカ」だ。パンク、ニューウェイヴの嵐が世界中に吹き荒れていた1979年、テキサスのカール・フィンチ青年(当時28歳)が結成したのはなんとポルカ・バンド! ダサイ音楽の代名詞とも言われていたポルカを果敢に演奏する若者たち。そして彼らは自ら「ブレイブ・コンボ」-”勇敢なる楽団”と名乗った。

いや、良い話だ。もちろんご老人向けのマッタリ・サウンドなどではなく、強烈なリズムとド派手なギターやアコーディオン、クラリネットが炸裂する(と書いても説得力ないナー…)。
最初に日本で発売されたアルバム『Musical Varieties』('88)を聴いて、本当に驚いた。というか、恥ずかしながらポルカの虜になった。だって、まるでスカみたいなんだもの。ポルカは究極の「タテノリ」でもある。選曲もメチャクチャでドアーズの「People Are Strange」ポルカ版とか、正統派っぽい「クラリネット・ポルカ」にパンクな「ビア樽ポルカ」などなど。

ポルカ自体はチェコが起源でポーランドでも良く演奏されると聞いたことがある。パロディーミュージシャンのアル・ヤンコビックの父親がポーランド系のポルカ演奏家…じゃなかったかな?
演奏スタイルとしてはテックス・メックスに近く、ブレイブ・コンボもテックス・メックスとポルカをごちゃ混ぜにして演奏しているが、アレは「テキサスで演奏されるメキシコ風音楽」だよな。なんともこのあたりがナンデモアリで…。

初来日は1989年。この時に見逃した悔しさを延々引きずり、1991年3月の二度目の来日を観た。当時、仕事が超多忙で前売りを買うことが出来ず、土曜日の川崎・クラブチッタまで当日券をひとりで買いに行って、ひとりで観た…なんてことを覚えている。いいライヴだったなぁ。

実はこのブレイブ・コンボ、けっこう近い音楽性を持っていた日本のイカ天バンド(というのが懐かしいな)群馬のセメント・ミキサーズと交流があり、セメ・ミキがテキサスに行き一緒にレコーディングをしたり、ブレイブ・コンボの来日時にゲストでセメ・ミキが出たりしていた。私が観たライヴでも立って踊っているとすぐ隣にセメ・ミキのヴォーカルが突っ立っていてたいそう驚いた…。

…さて、もう何がなんだかわからないと思うので、曲を聴いていただこう。「ビア樽ポルカ」でロック・フェス熱狂!!



2011年のライヴから。こりゃもう踊るしかないわな! それにしても選曲がイイ(泣)。



そして世界で一番有名なポルカ・ナンバー、「クラリネット・ポルカ」。



彼らは実は一時期日本でそこそこの人気があって、「青い山脈」や「アキラのええじゃないか」もカヴァーしていたが、3度目の来日がまったくの不入りで、それ以降日本との付き合いがすっかり消えてしまった…じゃなかったかなぁ(今回は資料が全くないのでおぼろげな記憶だけで書いています)。

そういえば当時通っていた英語学校のカナダ人講師がめちゃくちゃ音楽に詳しくて、私が「今はブレイブ・コンボに夢中だ」と言ったところ、「え?ウソだろ?あいつらポルカだよ?!」と言われたことも思い出した。どうやらある世代の欧米人にとってはホントウにホントウにダッサダサの音楽らしく、たとえパンク風に演奏したとしても「いくらなんでもポルカはちょっと…」という人もいるそうだ。でも、私はへいきだ。大好きだ。

2016年現在、ブレイブ・コンボをこんなにアツく語る日本人は多分私しかいないと思うが、上の2つ目のヴィデオなんか観ると、現在形の彼らをたっぷりと聴いてみたいと思う(かなり演奏が上手くなっている)。いいバンドだよ、ホントに。ちなみにヴィデオの中で、何回も何回も「ポルカーッ!」と叫んでいるのがリーダーのカール・フィンチだ。

私自身も、老後はこんなワケのワカランポルカでロックでラテンでパンクな演奏をして行きたい、とまで思う。ポルカーッ!

第61回-フェイク・エスニック1989-前編

1980年代の終わり、88~89年頃、全世界的に"ワールド・ミュージック"の大ブームがあった。どのエリアの音楽が流行ったかというと「全世界」。例えばアフリカからはサリフ・ケイタ(マリ)やユッスー・ンドゥール(セネガル)が、イスラエルからはオフラ・ハザが(←マジで最高だから聴いた方がイイ!!)、インドネシアからは"ダンドゥットの女王"エルフィ・スカエシが日本に紹介され大人気に。

他にもシンガポールのディック・リー、香港からはサンディ・ラムなどなど。この頃のアーティストならばいくらでも思いつく。渋谷LOFTの抜け道のようなところ、今は季節商品を売っているあたりが「WAVEエスニック・ガーデン」という名前でこの種のCDの専門店になっていた…というのもずいぶん懐かしい話だ。CD棚が体陸別、国別の仕切りになっていたのだから、それはまぁ、かなりのボリュームと売上を伴ったブームだった。大学の帰りにしょちゅう行っていたなぁ…。

冒頭から民族のココロを伝えるワールド・ミュージックを非常に熱く語ったが、さて、当時の私(大学の3年から4年)はどうしていたかというと…前述の正統派も聴いてはいたが、非常にキワドイ、フェイキーな2バンドに夢中になっていた。3ムスタファズ3とブレイブ・コンボだ。

3ムスタファズ3は「バルカン半島の"シェゲレリ村"からやって来た腕利きの6人組。名字は全員"ムスタファ"」ということになっていたが、実は全員イギリスのセッション・ミュージシャンらしい。特にベースのSabah Habas Mustapha(サバ・ハバス・ムスタファ)に至っては早々に面が割れており、アンドリュー・ラティマー(g, vo)がいたプログレバンド、キャメル(CAMEL)のベーシストColin Bassその人だ。1951年ロンドン生まれ、だわな。
インタビューなども全くのフェイク。この記事を書くために「ミュージック・マガジン」1989年10月号のロング・インタビューを読んでみたが、「我々の叔父さんは冷蔵庫の密造と密輸をやっている」等々、読めば読むほど混乱して来た。

しかし驚くべきはそのサウンドで、バルカン半島~アラブ圏の広域なサウンドを忠実に表現。しかもロンドンの名うてのスタッフ(リリースはグローブ・スタイル・レーベルだった)が参加しているので、最新のダンス・ミュージックのエッセンスもふんだんに取り入れられており、オリジナルのワールド・ミュージックよりもこちらの方が良い…と思ってしまったのが間違いだったか?!(苦笑)

(実は前述のホンモノの歌姫・オフラ・ハザのバックバンドから発展したという説もある。まぁなんというか、アグネス・チャンのバックでカントリー・ロックを演っていたムーンライダーズ…という例えはちょっと違うか?!)

バンドの同様、サウンドの想像も付かないかと思うが、まぁ、まずは1曲これでも聴いてみて欲しい。この美しさたるや…。



1989年10月には渋谷・クラブクアトロでまさかの来日公演。そしてこのステージを私は最前列で観ている。大学3年の秋。狂ったように盛り上がっていたよ。一緒に行った女の子がなんと上の写真にある「トルコ帽」をかぶってきやがって、私は洒落のないありふれた格好だったので、悔しくて悔しくて…。上の"Shika Shika"はライヴでも演った。途中のブレイクっぽいところが死ぬほどカッコ良くて、「スゲェバンドだ!」と震えた記憶がある。

バンドは世界的にもソコソコの人気を得つつ、ワールド・ミュージック・ブームの鎮静化と共に活動停止、というか元のセッション・マンに戻ったのだろう。

ちなみに前述のColin Bassは別名のSabah Habas Mustaphが気に入ってしまったのか、同名義でのアルバムを1998~99年、2004年にも発表している、と思ったらColin Bass名義でソロアルバムも、再結成したCamelの新作も出している。自由な人だなぁ。1997年には自らインドネシアのバンドンにKartini Music Recordを設立して、その活動はBBC Radio 3のワールド・ミュージック・アワードにもノミネートされているようだ。怪人物…。

ここはColin Bass、じゃなかったSabah Habas Mustaphでもう1曲。3ムスタファズ3最大のヒット(?)"Linda, Linda"。ベースヴォーカルが彼です。



ううむ、「フェイキーな2バンド」と書いたがムスタファズでこんな長文に。後編に続く!

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